能と落語
知人からチケットをいただいて、生まれて初めて能を観劇、「至高の華、能と落語、南光と玄祥」というイベントです。前半が能、後半が落語ですが、能が90分、落語が45分くらいだったかなと思います。
繁昌亭あたりとかなり客層が違います。きものを着ている女性も多く、今日はこれから医師会の忘年会、といった会話も漏れ聞こえてきます。いつもの全身ユニクロの自分がいささか場違いなことに気が付かされました。
能の演目は「鉢木(はちのき)」、シテが梅若玄祥さん、ツレが梅若猶義さん、ワキが福王茂十郎さん、舞台装置が何もなく、意図的にただ舞台だけがあるといった感じです。最初にしずしずとお囃しの人たちが登場、舞台中央に下手から大鼓、小鼓、笛、上手端に6人の地謡(バックコーラス)が並びます。咳をするのもはばかれるような静けさと緊張感があり、やがて心地良い笛の音で舞台が始まり、よ~~~、ぽん、よ~~~、ぽん、鼓が威勢よく響きます。大鼓の方が、小鼓より音が高いんですね。ちなみにおおつづみ、こつづみと読みます。
時は鎌倉時代、最明寺時頼(北条時頼)が雪に難渋して、貧しい家に一夜の宿を借りることになります。貧しさで、暖を取るものもないため、宿の主は大切にしていた盆栽を燃やしてもてなします。宿の主は今は落ちぶれているものの、北条家の家臣であり、ことあれば鎌倉へ駆けつける覚悟であることを語ります…。「いざ鎌倉」の語源となった忠誠心をたたえた人情物です。
話はシンプルですが、舞台はちと長い…、ちょっとしたストーリーの進展の度に、長いセリフと舞、地謡がついてきます。正直いなところ、辛気臭い(じれったい)です。ドレッシーに着飾った観客にも舟を漕いでいる人が少なくありません。
それでもひとつひとつのしぐさの美しさとか、全体の様式美には感銘を受けます。利休にたずねよにあった、利休のしぐさの美しさとかは、こういうものだったんでしょうね。
地謡の人たちが謡い始めるときに一斉におじぎして、扇子で拍子を取ったり、シテ役の舞台での着替えを手伝うためだけや、小道具の鉢を出すだけに舞台に登場する人が、腰を落として、しずしずと歩く様も感動的です。
演じ終わるとひとりずつ退場していくのですが、もらった感動に対し拍手するタイミングがありません。カーテンコールとかもなくちょっと寂しいです。
落語は桂南光師匠の「不動坊」というお題です。初めて聞くお噺で、さすが南光師匠といった高いレベルの落語ではあるのですが、いかんせん、能とスケール感が違いすぎて、どうも馴染めませんでした。
例えていうと、EXILEのライブの後でさだまさしが出てきたというか、そんな感じです。
能は能、落語は落語で楽しむべきでは、と感じたイベントでもありました。