修学院離宮

二日前にネットで修学院離宮参観を申し込みました。ところが待っても待っても、迷惑メールフォルダをチェックしてもメールが届かず、宮内庁京都事務所に電話してみると今日中には当選したかどうかのメールが届くはずということだったのですが、やはり届きません。翌日もう一度電話してみると、当たっている、とのこと。なんかイケてない予約システムですが、電話応対は丁寧で好感。

いつもの京都と違って現地11時に遅刻しないように、事前に時刻表アプリを入念にチェックしてメモ、9:22の特急に乗る予定だったのに、天満橋に着くと9:22なんてありません。土曜日なのに平日の時刻をメモしてきたことに気づきました。

それでも余裕をもって出てきたので9:15の特急で出発、8000系トップナンバーです。

出町柳で「きみどりきらら」に乗り換え修学院に到着、車庫のすみっコにデト1000が見えます。

「オレンジきらら」が到着。駅前のパン屋でおかずパンを買っておきました。

音羽川沿いを歩きます。快晴の空に比叡山。

菜の花畑が満開、オオイヌノフグリも満開。

11時5分前に修学院離宮に到着。スマホにメモっておいた受付番号を見せて入園、参観者休所に集まったているのは50人ほど、毎回50人の定員いっぱいのようです。

下離宮、中離宮

11時ちょうどに「宮」の字の襟章が付いたコートを着た若いガイドさんが登場、注意点は3つ、砂利道の通路から外れないこと、集団から離れないこと、水分補給以外の飲食はNG。写真撮影はOKです。現在地も含まれる下離宮、音羽川沿いの中離宮、丘の上にある上離宮の順に巡ります。

下離宮の御幸門、屋根瓦には菊の御紋が並んでます。修学院離宮を造営した後水尾上皇が好んだ花菱紋の透し彫りの扉が開かれ中に入ります。

下離宮のお庭と寿月観です。後水尾上皇の御座所だったそうで、座敷の奥には台付の畳が敷かれています。

下離宮を出ると田園風景が広がり、松並木の道が垂直方向と水平方向に伸びています。ツアーは水平方向の松並木の道へ。

枝ぶりのいい一本ずつ丁寧に剪定されたことが分かる松並木の木の間隠れに京都の町が広がっています。御苑の巨木の松もそうですが、宮内庁の松へのこだわりとその園芸技術は相当なものであることは間違いないと思います。左端は宝ヶ池を囲む山、その向こうは左大文字山辺り。

中離宮に入ります。ツバキの向こうに楽只軒、それと池泉回遊式庭園です。

後水尾上皇の第8皇女、朱宮光子(あけのみやてるこ)内親王のために造営された山荘で、上皇の没後、内親王は出家して山荘は林丘寺と改められ、明治になってから寺域の半分が皇室に返還され修学院離宮中離宮になったそうです。

楽只軒に繋がっている客殿の杉戸には祇園祭の山鉾、狩野敦信筆と伝わる岩戸山と放下鉾で、裏面には船鉾が描かれているそうです。

網に囲まれた鯉と鮒の杉戸絵、夜な夜な魚が絵から抜け出して池で泳ぐため、網が描き足されたそうで、鯉や鮒は作者不詳も網は何と円山応挙の筆だそうです。まるでイラストレーターで描かれたように正確で繊細な網目が魚の上に描きこまれ、さらに網目がほつれているところなど芸が細かい。応挙のとてつもない技量だけでなく、洒落や面白みへのこだわりが伝わってきます。

客殿「一の間」の飾り棚、5枚の棚板が霞がたなびいて見えることから「霞棚」と呼ばれ、天下三名棚のひとつとされています。棚の壁面にはたくさん貼られた漢詩や和歌は修学院八景を謳った色紙だそうです。

「二の間」には狩野永敬の「四季絵」、春の絵は吉野を描いたもののようです。

修学院山340mに向かって伸びる棚田、元は地元の人たち等の所有地だったのを買い上げ、それをさらに元の所有者等に貸し出すことによって美観を守っているそうです。今は野菜などが作られているようですが、稲作の時期にはできるだけ稲作して欲しいと依頼しているとのことでした。

松並木の道を直角に曲がり修学院山へ向かって歩きます。最初はガイドさんのすぐ後を歩いていた自分ですが、いつの間にか最後部付近です。先頭を行くガイドさんの他、最後尾にも担当さんがいて集団を離れたり遅れている人がいないか注意しています。

上離宮

上離宮の門です。

右手に公開されていない建物へ続く石段がありその側溝を水が勢いよく流れていて、かなりの高低差があると分かります。

急な石段を登ると隣雲亭、ここで縁側に腰を下ろして五分ほど休憩。眼下に広がる池は浴龍池。ちなみに最初の参観者休所以外にお手洗いは無いので要注意です。

中離宮と違って簡素な隣雲亭、調度品は何もなく自然の美しさと対峙するためだけの山荘です。

屋内に何の装飾もない隣雲亭ですが、軒下の三和土に埋め込まれた、ひとつ、ふたつ、みっつずつの小石、一二三石というそうです。

反対側の石段を下りると石橋の川上に落差6mの雄滝。そこそこ標高がある場所なのに水量は豊か、音羽川から引き込まれているようです。

浴龍池の畔をぐるっと回ります。池の中島(万松塢)に架けられた千歳橋は文政7年に京都所司代から寄進されたものとのこと。その上に金の鳳凰。

浅い池に浮かぶ枯れ葉が池の底に影を映してます。

白い小さな花はカンスゲ、葉っぱは菅笠になります。

池にヒュルルルーと鳴り響き、池の真ん中にカイツブリが浮かんでました。

もうひとつの中島に立つ窮邃亭(きゅうすいてい)、創建当時から残る唯一の建物です。

窮邃亭の前から鳳凰をアップで。花を咥えていて、目は彫刻じゃなく全体にペラペラ。金閣寺や平等院の鳳凰と較べるといささかチープな感じも、当時の京都所司代としてはこれが精一杯だったのかも。

蔀戸が開けられた窮邃亭の内部です。台付の畳は座敷の奥にあった下離宮とは逆に眺めのいい窓際に置かれています。

遠くに京都タワーが見えます。浴龍池の向こうに隣雲亭。

80分のツアーはやはり忙しなく、叶うならばガイドツアーじゃなくて、じっくり丸一日過ごしたい修学院離宮でした。

音羽川砂防ダム

バッグに入ったままのおかずパンを音羽川砂防ダムで食べることにしました。前回は指を加えて眺めるだけだった音羽川からの修学院離宮、今や山の麓に見える建物は隣雲亭と分かります。

オオイヌノフグリが可愛く撮れました。

ちょこっと京都に住んでみたで佳奈さんが、人生には3つの坂がある、上り坂と下り坂とまさか、とつぶやきながら自転車を押して上っていた坂道を行くと、対岸に閉ざされた門、林丘寺の半分が宮内省に返還されるまで林丘寺の表総門だったそうです。

少し川上にある前回不明だった水煙のあるお堂は林丘寺のお堂のひとつで間違いなさそうです。林丘寺は今も尼寺として活動が続けられており美しいウェブサイトも運営されているものの現在は非公開、将来的に公開予定とのこと。熊出没注意の上にテングチョウ。

一番川下の砂防ダムに到着、対岸の道は叡電きららが由来する雲母坂。

二番目の砂防ダム下の河原に下ります。紅葉が色づき始めていた前回と比べてかなり寂しい景色です。水はキレイも砂防ダムの下という構造からして魚はおろか水生昆虫などもいそうになく、鳥は見つかりそうにありません。

石段に腰を下ろして、ちょこっと京都に行ってみたの佳奈さんの鯖寿司よろしく、惣菜パンのランチ。カスクートはバゲットじゃなくてコッペパン風なのがちょっと残念もロースハムにチェダーチーズ(たぶん)、それにシャキシャキレタスがたっぷり入っていたので合格、ソーセージにオリーブがいっぱいのったデニッシュはかなり気に入りました。

マツコの知らない世界で京都のパンの特集を見て、今日のランチはパンを買ってどこかの公園で食べようと思っていた次第。チェックしてみると修学院駅前のパン屋さんは東京発のチェーン店の分かりちょっとガッカリも、チェーン店を否定するものではないので、紹介しておくと、プチシャンボールというお店、チェーン店でも味に自身があって、激戦区の京都で勝負、ということであればそれは歓迎すべきことかと。

上空を舞う黒い蝶、よく見るとコバルトブルーがチラリ、しばらく目で追いかけていると河原に下りてくれました。やはりルリタテハ。

空に舞い上がるものの、しばらくするとまた下りてきてくれます。内側は鮮やかなコバルトブルー、外側は模様が見えるもののほぼまっ黒。

曼殊院の苔

音羽川沿いを下りさらに西へ高野川の川辺を歩くか、北へ戻り赤山禅院を抜けて八瀬へ向かうか、あるいは南へ曼殊院さらに詩仙堂の方へ向かうか、悩んで南へ向かうことに決めました。

前回は11月でたわわに赤い実をならせていたサンシュユ、苞(花の基部の葉)に包まれ、おしべを上に伸ばした小さな黄色い花がいっぱい。

再びルリタテハが登場、さっきより間近です。外側はまっ黒じゃなくて焦げ茶色に複雑な模様です。

空をペアで舞っていたのですが、一頭がさらに間近に下りてきてくれました。背中が瑠璃色の粉を吹いたようになってます。ググって出てくるルリタテハはこんなに背中が瑠璃色じゃないです。

ヒラヒラっと道路の向こうに移動、その後ろにお嬢(ジョウビタキ♀)が。

目線の高さにある曼殊院石垣上の苔が見事です。

苔の上に豆もやしのようなものがまっすぐ伸びているのをクローズアップ、ハイゴケとその胞子体です。

一本だけヒョロリと伸びた何か、さんざん調べてスズメノヤリで間違いなさそうです。

穏やかな海のように波打った苔、木の根で盛り上がっているのかと思いきや、まんじゅう苔とも呼ばれるオキナゴケのようです。苔の種類はどうにも苦手だったのですが、このページが参考になりました。

息を呑むほど美しいハイゴケの胞子体。

一乗寺葉山

曼殊院の南側には武田薬品京都薬用植物園が広がっています。通常は一般公開されていないものの、適宜開催されている研修会に参加できるようです。

山の裾野のギリギリのところまでやってきました。東山三十六峰の第七峰、葉山の麓です。小さな川は一乗寺川でここでふたつの流れが合流しています。何気なく砂防堰堤を撮ったら全然鮮明ではないもののキセキレイが写っていました。川面に伸びたシダの葉の先の下にです。ちなみに15m以上の高さがダム、それ以下が堰堤と定義されているそうです。

ツバキの葉にムラサキシジミ、何とも美しいブルーとパープルのグラデーション。

10分くらいじっとツバキにカメラを向け続けていた自分に近所に住むという男性が、野鳥ですか、と声をかけてくれ、蝶々です、と美しい姿を見せているムラサキシジミを指差して自慢できました。

ツバキの花に止まり、口吻を伸ばして蜜を吸っています。

上のムラサキシジミとは翅の色がずいぶん違っています。構造色なので光の加減もありそうですが、それ以上に違っているように見えます。

気持ちのいい山裾の道が続きます。生駒山麓の枚岡辺りの景色に似ています。枚岡ほど急な坂道ではないものの、段々になった敷地に住宅が立っていて、その段々の石垣にムスカリ。外来種のカラクサケマン(たぶん)は石垣いっぱいに咲いてました。

錆びきったフジイダイマルの広告付き住所看板。蔵が立つ道、向こうに見えるのはたぶん花桃。

里山の趣が残り自然がたっぷりの古都のヘリ、さっき声をかけてくれた男性が羨ましい住んでみたいと感じさせる町です。

看板の地図の緑色の部分のヘリを歩いてきました。道標には右葉山馬頭観音 ひゑゐ山無動寺道と彫られています。

白川通へ出るともう午後3時なのにまだ長い行列は天下一品総本店、自分はこってり系が苦手です。

この時間でもちょい飲みできそうな店を検索で見つけ河原町丸太町に向かうことにしました。白川通には5系統の市バスが走っていて四条河原町や京都駅へは便利なのですが、バス停3つ分を歩いて北大路通南側にある上終(かみはて)町バス停Bのりばから204系統に乗り込み河原町丸太町に到着。見つけたお店は好きじゃないお通しを出す店だったので少し飲んだだけで退散。

寺町通りを町歩きしてみると革堂行願寺の南の方は骨董品店がいっぱい並んでいることに気づきました。30店舗近い骨董品やギャラリーが集まる寺町美術通だそうです。

寺町通夷川下ル常磐本町の住所看板は仁丹じゃない広告、掠れてしまっているのですが「御座敷中華料理、百xx、河原町通丸太町上ル東側」と読み取れます。河原町丸太町上ル東側をマップで探してみると店名に「百」は付いていないものの台湾料理のお店があります。かなり美味しそうな写真がいっぱいアップされていて今度行ってみることにします。

4時半の開店時間を回っていたのでいつもの高田酒店、今日マスターが選んでくれたのは丹後久美浜町の熊野酒造の翠龍という無濾過生原酒。これは美味かった。「龍」という名前とは裏腹に、とても口当たりの優しいお酒です。地酒やワインの銘柄は殆ど理解できていない自分ですが、ここのマスターのおすすめは信頼してます。それでいてリーズナブル。スルメイカのおつくりにゲソのボイルが添えられているのも嬉しい。