知恩院のハンミョウ
人混み覚悟で東山へ、日本庭園めぐりが目的です。
プレミアムカーは売り切れで座れるかどうか心配していたら、天満橋でかぶりつきがゲットできてビックリ、テンションがぐんと上がりました。
滝井駅通過、僅か250mほど先の桜に囲まれた土居駅に6000系普通電車が停車中。
大和田駅手前のゆるいS字カーブ、車体の傾きでスピード感アップ。ところが枚方公園付近から黄色と青の減速信号表示、先行する準急が遅れているようです。
4分ほど遅延のおかげで木津川橋梁を越えてくる8000系がばっちり撮れました。4分遅れのまま祇園四条到着。
白川に張り出した桜です。白川筋は大賑わい、結婚式前撮りのカップルがいっぱい。いつからこういう風習が始まったんでしょう。
知恩院
祇園から一変、殆ど人のいない知恩院道です。ところが三門前は人がいっぱい、キッチンカーも並んでいます。どうやら八坂神社と円山公園を抜けてくるのが知恩院へのメインルートのようです。
三門を抜けると急な石段、手前のおじいさんが右手を指して、こっちのほうが緩いでぇ、と。
かなり緩やかな右手の石段、左手が男坂、右手は女坂だそうです。当然自分も女坂を上ります。
徳川秀忠寄進の国宝三門をバックにソメイヨシノと椿。女坂を上り切ると広い空間、巨大伽藍は知恩院本堂の国宝御影堂。
拝観料とかなく靴を脱いでポリ袋に入れ上がってみると法要の最中。聞き覚えのあるお経は実家の法事と同じと気づきました。自分はその宗旨を受け継いでいないものの実家は浄土宗と確認。
本堂の外廊下に「忘れ傘」と立て札があって、見上げてみると軒裏に傘の骨が見えます。立て札の上じゃなくて、頭の真上です。
方丈庭園
さて、方丈庭園へ行きたいのですが、どこから入るのか分かりません。御影堂の周囲をぐるぐる廻るも見つからず、御影堂の裏から伸びる渡り廊下に「方丈庭園」の案内板を見つけました。どうやら御影堂に上って裏側から入るようです。再度靴を脱いでポリ袋に入れます。
渡り廊下を渡って行くとすれ違うお坊さんが丁寧に挨拶してくれるのが嬉しい。集会堂(しゅうえどう)と大書院をつなぐところにチケットブースがあって、友禅園と方丈庭園のふたつのお庭共通拝観券が500円。ポリ袋から靴を出して、外に出ると方丈園の入口。
門を抜けると右側に心字池、池の手前のハイビャクシンが美しい。
ハイビャクシンの前にハンミョウ登場、ふたたびテンションが上がります。一寸の虫にも五分の魂を物語るように影がくっきり。
もう1匹、こちらは通常オレンジ色の部分が緑ないしは黄色です。調べてみたところ、上と同じナミハンミョウでも緑化個体と分かりました。ちょっと貴重な記録ぽいです。
小書院の茅葺きの屋根にアオサギ、なかなかシュールな景色です。アオサギ先輩は池に下りてきて何やらゲット、ここで殺生したらあかんやんか。
ポンデリングのような二十五菩薩の庭、その奥に権現堂。お堂には徳川家康の肖像画が掲げられています。法然上人の開山ですが、淨土宗徒であった徳川家の庇護を受け、二条城と並ぶ徳川家の京での拠点となり、淨土宗総本山になっている知恩院です。
さらに石段を上ります。柔らかい日射しを受けたコケのカーペットに落ちたツバキ。シャガも美しい。
まさに首の皮一枚でつながっているツバキです。石段を上りきると山亭庭園という小さなお庭。
山亭庭園の木戸をくぐった眺めにビックリ。伽藍の向こうは三条京阪付近、正面に愛宕山。その間に見える大きなビルはホテルオークラ京都、景観条例違反ではと思ったら景観条例以前にできたそうです。
小さなお庭ですが桜が満開、ケキョケキョとウグイスの声も響いてきます。後からきたグループの男性がきれいな桜やなぁ、これでウグイスが鳴いてたら最高やけど、と。一般にはホーホケキョと鳴かないとウグイスと認識してもらえないようです。
伽藍の瓦をバックにソメイヨシノ。静かな空間に何やら重低音が遠くから響いてきます。どうやら岡崎公園で何かのイベントのようです。
山亭庭園の木戸をくぐり墓地を抜けると空間が広がりさらに石段、法然上人御廟です。
桜の向こうは重要文化財の勢至堂。承元の法難で讃岐に流され、後に赦免され京に戻ってきた法然が、荒れ果てた吉水草庵に代わる住房とし、その生涯を終えた大谷禅房がここにあったそうです。その知恩院発祥の地とされる場所に立てられた知恩院最古の建造物が勢至堂です。
石段を下りて広い境内を横切り、三門の脇にある友禅苑へ。方丈庭園が良すぎたせいか、正直なところこちらは期待はずれ。
せっかくなので法然の活動拠点、吉水草庵だった安養寺へ行ってみます。大賑わいの円山公園、小さな流れに花筏。
円山公園を抜けると安養寺、掲げられた提灯は安養寺ではなく吉水草庵。円山公園の賑わいがウソのよう、自分の他に欧米系外国人の兄ちゃんひとりだけ。
法然の法話を聞くために集まった当時の民衆を思わせる墓地に挟まれた石段を上ると本堂。淨土宗じゃなくて南北朝時代以降時宗の寺院になっていますが、紛れもなくここが吉水草庵だったようです。吉川英治「親鸞」を漸く読み終えたところです。後の親鸞の範宴が綽空と法然から名を与えられ、一の谷の合戦で平敦盛と一騎打ちした熊谷直実が蓮生となり、さらには木曽義仲の右筆だった大夫房覚明ら、歴史に名を残した錚々たる面々が共に暮らしていた禅房がここにありました。知恩院の大伽藍ではなく、この小さな本堂の佇まいが、当時の様子や法然上人の人となりを伝えていると感じます。
青蓮院門跡
安養寺から円山公園を抜け、帰りかけたところで友禅苑ががっかりだったこともあって少し物足りなく、知恩院の北隣、青蓮院門跡へ。
前回は雨、今日はは快晴です。客殿白書院の華頂殿の縁側に腰を下ろしお庭をぼーっと眺めます。今日は未だに足になじまない靴を馴染ませようと2月に買った安全靴のようなウォーキングシューズを履いて来たので足が痛く、普段は靴を脱いで座敷に上るのが好きじゃないのですが、さすがに今日は靴をぬぐと心地よく、もう立ち上がれなくなりました。
蓮の襖絵と三十六歌仙の額に囲まれた座敷は、風通しの心地よさと見た目の美しさを両立すべく、かなり工夫して襖が開けられていると気づきました。
前回も会ったメタリックな錦鯉は池の中でじっと眠っていました。
「真夏です」と言っているのは温度計だけでした、とのキャッチのある「そうだ京都、行こう」1995年のポスターが掲げられていました。
真ん中の桜はたぶんヤマザクラ、右手は芽吹いたばかりのモミジです。お庭の景色は快晴の春より前回の雨の夏の方が美しい。
裏山に上り見下ろすとさっきまでぼーっとしていた縁側が見えます。
青蓮院門跡の北隣の小さな公園に人が集まっていました。公園の真ん中に見事なシダレザクラ。粟田口あおくすの庭と名前があるようです。
三条通りに坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡の碑を見つけました。青蓮院塔頭金蔵寺跡で1864年8月にここで内祝言が行われたというお龍さんの回想に基づき設置されたそうです。その先、柳に囲まれた白川。
出町柳
201系統のバスに乗って出町柳へ向かうも、いっぱい引っ掛けてと思いつき百万遍で下車。ところがまだ時間が早すぎてどこも開いておらず、痛い足をかばいながら出町柳へ。
鴨川の土手でボケとソメイヨシノ。
高野川左岸の桜並木は盛りです。賀茂川にはまだカワアイサがいました。
賀茂川左岸も満開。遊歩道にヒドリガモ、北帰行直前になって半年間ここで暮らしたせいか、ぜんぜん人恐れしなくなっているようです。
セグロセキレイが飛び立ったところです。
肩の白い切れ込みが殆どなく渡り鳥のクサシギかと思ったけど、やはり留鳥のイソシギのようです。
もう1羽のイソシギを正面から。この子は白い切れ込みがくっきり。
もいちどカワアイサ。遊歩道にどっかり腰を下ろしたマガモカップル、♀は額の辺りを怪我しているようです。それを心配そうに見ている♂。
写真は撮れなかったけど、もうツバメが舞ってました。薄暗くなってきた川面にカワセミ、対岸に止まったところまでチェックしたものの見失いました。
賀茂大橋に沈む夕日です。天満橋に戻ってくると八軒家浜も大賑わい。