太秦・御室(太秦編)
カムカムエヴリバディがもうすぐ大団円。終わってしまうまでに嵐電乗り鉄。
3人目のヒロイン、時代劇マニアのひなたが嵐電に乗って、たぶん年パスを持っている映画村に通い、高じて映画村に就職。1983年から1993年のお話で、細部までかなり拘っていて作り込まれ、当時のラジカセや自分も持っていた初代ウォークマンなども登場していました。嵐電は当然旧塗装のモボ301オンリーで、2010年登場の紫色は排除していたものの、惜しくも車窓に1997年発売のプリウスが写り込んでいたのはご愛嬌でした。
運良く6300系京とれいん、かぶりつき席ゲット。十三通過シーンを撮ろうと構えていたら十三は通過じゃなてくてドアが開かないだけでした。
嵐電
西院で阪急ホーム-地上-嵐電ホームをつなぐエレベーター(地上と嵐電ホームはホームの高さだけの移動)を出るとカランカランと電鐘式踏切が鳴り出し、やってきたのは江ノ電色のモボ631。
後ろはモボ501形、電照式踏切が鳴り続け四条大宮行モボ621形が到着。
モボ101形がやってきたのでこれに乗車、かぶりつきゲット。
島津製作所前辺りから雨が降り出したものの、太秦広隆寺では日差しが戻ってきて帷子ノ辻到着。狐の嫁入りでもあったのかも知れません。
帷子ノ辻駅の嵐山側に地下道がありその下には改札口ではなく、回転バーの入口があります。回転バーは逆転しなくて外へは出られないようになっています。嵐電は2両編成でも基本はワンマン運転、2両目にも乗務員さんがいて前方ドアで料金収受するようになっているものの、3つの終端駅と帷子ノ辻駅だけは前後のドアを開放し駅改札で料金収受するためです。
間口が不必要に広いことからも、以前は普通に改札口があり駅務室もここにあったようです。この場所、先日アマゾンプライムで見た嵐電にも登場、この広い空間でなぜかヒロインが幽体離脱して高校生たちが不気味な踊りを舞っていました。
1番線脇の小さな改札口を出ると立派な地下道の入口があります。嵐山方面からやってきて帷子ノ辻で下車した場合、地下道は使えず、北野線寄りの踏切をぐるっと回って1番線脇の改札を出ることになったものの、エレベーターなど設置せずに地下道自体を使わなくて済むようにした低コストのバリアフリー対策のようです。
大映通り商店街
地下道入口を背に、帷子ノ辻交差点を渡ると嵐電とほぼ並行して大映通り商店街が伸びています。
なんとスーパーの前に大魔神が立っていました、「いらっしゃいまじん」。
カムカムひなたの就職先「条映映画村」のモデルは東映映画村で、東映京都撮影所も新設された撮影所前駅近くに現存しますが、かつて大映京都撮影所(元は日活太秦撮影所)もこの大映通り商店街の南側にあったそうです。調べてみると、松竹京都撮影所も帷子ノ辻駅からまっすぐ下った辺りに現存し、色んな時代の大掛かりなセットがあるようです。見学会とかあればぜひ行ってみたい。
今日のランチはここ、映画嵐電にも登場したキネマ・キッチン。ヒロイン嘉子(かこ)がバイトしていたお店です。
窓際のカウンター席に腰を下ろすと8ミリカメラやフィルムリールなど骨董品がいっぱい並べられていました。映画嵐電で鉄ヲタ高校生の子午線君が嵐電撮り鉄していたのはなぜか8ミリ、青森からの修学旅行生、南天ちゃんはなぜかフィルムカメラでした。
フジカシングル-8♪、私にも映せます。
寒の戻りでちょっと肌寒いですが、ペレットストーブでポッカポカ。脇には京都ペレットと書かれた大きな紙袋が積まれています。たぶん北山杉の間伐材が原料かと。
ストーブの上にはナショナル坊やと座頭市。
ランチは牛すじ煮込みをチョイス、これにおばんざいが3品、コーヒーもついて1000円ポッキリ。目の前は金魚の水槽。外を歩く人たちが骨董品を覗き込み視線が合うのですが、向こうからこちらは見えないようです。
見事な白い出目金ちゃんを眺めながらいただきます。がんもどきの煮物じゃなくて、ひろうすのたいたんも美味しい。この出目金ちゃん、キネマ・キッチンのFacebookページによると3年前に金魚すくいでとられて来たそうです。
コーヒーが出てくるまで少し店内を見せてもらいます。西ドイツ製ARRIFLEXの16mmカメラ。カチンコもあります。
映画嵐電が流されていました。売れない俳優の譜雨君に画面右後ろ姿のかこさんが期せずして京都弁を指導しているシーンです。プライムビデオのレビュー欄にあるように評価が大きく分かれる作品ですが、自分もどちらかというと駄作だと思います。井浦新さん以外、初めて見た俳優さんばかりなのはともかく、監督の意図するところがなかなか頭に入って来ず、レビューにもあるように「きつねにつままれたような」思いが残るばかりですが、後味は悪くないです。かこ役の大西礼芳さんも初めて見た女優さんですが、抑えた抑えた演技がなかなか魅力的でした。「私は自信が無いから、人と居るのが苦手なんです」というセリフは礼芳さんでないと表現できなかったかと。
カムカムエヴリバディでも、ドラマ内のラジオ番組で、浜村淳さんが「日本映画史上まれに見る駄作」とこき下ろしていた「妖術七変化~隠れ里の決闘」という物語上のチャンバラ映画が、その後もずっとドラマ内で重要なモチーフになっていくのですが、映画嵐電もなんかそれに似ているような気がします。
キネマ・キッチンのランチに満足して座っていた席を外からチェック。フジカシングル-8をレンズ側から撮っておきます。自分が来たのは12時前だったのですが、出る時には何人か並んでいました。接客も観光地のお店にありがちなぞんざいな感じは全くなく、お弁当を買いに来る地元の人たちも少なくなく、観光客だけじゃなくて地元にも密着したお店、アタリでした。
キネマ・キッチンの向かいは銭湯、その先に「髪結」の暖簾がかかったカットハウス。映画嵐電でジモティのはずの喫茶店のマスターが「床屋」という言葉を使っていたのを思い出しました。京都でもBarberは「散髪屋」では? 自分的には本作を駄作と決定づけたひとことです。
散髪屋さんの裏に神社、映画神社だそうです。由来を紹介する高札には、竹藪が切り開かれ行き場を失った狐や狸、鼬を哀れんで日活撮影所の人たちが建てた祠との由。
よく見ると散髪屋さんは狭い三角形、中がどんなレイアウトになっているのか気になります。周囲にはキネマ・キッチン以外にも入ってみたくなるようなお店が多く、今度は散髪とランチを兼ねてまた訪ねてみたいと思います。
振り返ると踏切を嵐電が通過。お漬物屋さんには「香の物」の暖簾。
カラオケ店の暖簾は「唄」、介護用品店は「指物」、元々は家具調度の木工職人さんのお店かと。商店街振興組合さん、きばってはります。
カムカムエヴリバディの「回転焼き大月」がある「あかね通り商店街」のモデルはこの大映通り商店街という可能性もありそうです。ここに「大月」があったとしたら、ひなたは撮影所まで嵐電に乗らず歩いて行けるのでズバリとはならないですが、雰囲気はあります。太秦は映画村だけじゃなくて町全体が日本のハリウッドなのかも。まだまだ色んな発見がありそうです。
大映通り商店街を抜けると太秦広隆寺。S字カーブを下って行きます。
モボ501形がS字カーブを上ってきました。後ろは江ノ電色のモボ631。
映画嵐電では太秦広隆寺駅の嵐山行ホームに上述の京都人なのに「床屋」と呼ぶマスターのカフェがあるはずですが、シャッターが下りたカフェじゃなさげなお店があるだけでした。このカフェでの地元の人たちへの8ミリ上映会のシーンでは、ポール集電時代の嵐電がいっぱい出てきます。8ミリから帷子ノ辻駅の上はかつてジャスコだったと分かりました。
このカフェの常連になってしまった鎌倉からやってきたノンフィクション作家が妻と再会するシーンでは、ツリカケ音じゃなくてカルダン駆動音に海の音が交じるものの江ノ電は登場せず肩透かし。
帷子ノ辻へ戻って来ました。改札口手前の柱のところで、かこさんが映画制作所助監督の明輝尾さんと出会う度に物語が新しい展開を見せます。映画での乗り換え駅の役割を明輝尾さんに託していたようです。自分も北野線に乗り換えます。
北野線
モボ2001形と梅。桜のトンネルはまだ春遠し。
御室仁和寺駅に到着。乗ってきたモボ2001形を見送ります。線路端のお宅のボケの花が見事に満開。
たぶん病気の父親と二人暮らしのかこさん宅の最寄り、御室仁和寺駅です。かこさんと譜雨君のキスシーンは左手の雨水タンクの前ですが、最近改札口へのスロープが整備されたようで映画と雰囲気がかなり違ってます。御室編へ続く。
追記:
もう一度映画嵐電を見てみると、最初見た時より少し話の流れが頭に入ってきて、監督が何を言わんとしているのか、今少し分かったような気がしたものの、やはり現実と幻想、回想の切り分けが不明瞭過ぎるようです。