吉野のキョロちゃん

人が居無さそうなところ、高野山に続いて吉野へ。9時40分あべの橋発のさくらライナーの空席状況をチェックするとほぼ予約ゼロ。こうや号同様、先頭車最前列をゲットしました。

さくらライナー

初乗りのさくらライナー、4両編成で10人くらいの乗車率です。先頭車最前列は運転席カブリツキじゃなくて壁でした。

壁のドアを開けると出入口のデッキと展望室、中央に立ったまま腰を固定できるスタンドと両脇にゆったり前方を眺められる鉤型の小さなソファがあります。

二上山鞍落ちを撮った千股池付近で何やら怪しげな低い雲。豪華な喫煙室で一服します。

壺阪山を過ぎると田んぼが白くなってきて、市尾付近のため池は凍った池面に雪が積もって真っ白。

葛城山も白くなってます。線路も白くなってきた吉野口で上りさくらライナーと交換。

もう席に戻らず展望室に落ち着きます。福神で上り急行と交換。

大阿太を過ぎて勾配を下ると吉野川沿いの家並みは真っ白、下市口で車内には誰もいなくなってました。

特急の停車しない越部で上り特急と交換、六田で上り急行と交換。

六田から吉野まで動画で。吉野川橋梁から蔵王堂が見えることにビックリ、屋根に雪が積もっていないと気づかないかと。

吉野に到着、誰もいない駅前です。

吉野山

ロープウェイのりばにも人影は見えません。ロープウェイ右側の山道から七曲坂を登ります。七曲坂をショートカットする山道は滑りやすくおっかないので、車道を歩きます。

高低差100mの七曲坂を登りきって下を見下ろすと青のシンフォニーが入線してきました。

金峯山寺仁王門はまだ工事中、石段を上って振り返った吉野の町は雪はさほどではないのにシーンという音が聞こえてきそうです。

金峯山寺本堂、蔵王堂です。お坊さんたちは金峯山寺ならではの山伏装束。

藤井利三郎薬房、ダラニスケじゃなくて祖父が呼んでいたようにダラスケと看板が掲げられています。

薄い綿帽子を被ったポストの右に「右大峰山上道」とあります。熊野本宮大社まで約100kmの修験道の大峰奥駈道が続いています。

谷の向こうは如意輪寺、鳥は見つからないし、この辺りで引き返します。

ほととぎすというお店近くで「東京特許許可局」と聞こえてきました。ホトトギスは夏鳥なので、錯覚かと。

イカル

今日の鳥見もボウズかと蔵王堂へ戻ってくるとイカルたち。嬉しい。

地面に降りてきました。坂道の白い点々は雪じゃなくてたぶん融雪剤。

全部で10羽くらい。バタバタっと飛び立ったもののすぐ近くの愛染堂脇の木に止まってくれました。

電線でひと休みのイカルと赤い枝の木でせっせと実をつばむイカルたち。

ね、チョコボールのキョロちゃんでしょ。

吉野朝宮跡

蔵王堂の西側に見える三重塔へ行ってみます。

シジュウカラとコゲラ。

吉野朝宮跡とあります。お手洗いを借りると水は凍結して出て来なかったので雪で手を洗いました。

その奥は小さな公園になっていて、後醍醐、後村上、長慶、後亀山の南朝四帝の歌碑が立っています。解説の面を含め五角柱の石柱です。

赤い花が膨らみかけた枝のつらら。不動坊とある建物の屋根から下がる鎖樋の水が美しく凍ってます。

八角形三重塔の南朝妙法殿は戦後の建物ですが、後醍醐天皇はこの辺りにあった実城院という寺院の寺号を金輪王寺と改め皇居に定めています。若干微妙ですが、ここも日本の首都だったと言っていいかも知れません。

何やら文学碑があり、読みやすく書き下した文も掲げられいるものの誰の作かがありません。

里へくだれバ 日ハ西の山にいりぬ…

良寛和尚が吉野を訪れた時の旅日記と分かりました。

つとにせむ よしのゝ里の 花がたみ

最後の部分は俳句になっています。「つと」とは苞でおみやげの意味、「花がたみ」は花かご。吉野のキャンペーンに使えそうな一句かと。

山を下りる

何やら時刻表が掲げられていて地面にバス停の看板が放置されています。「スマイルバス 銅の鳥居前」とあり、調べてみると吉野町のコミュニティバスのバス停で吉野駅ではなく吉野神宮駅へ平日6往復、土曜日5往復、但し日曜日は運休、観光客向けではなく基本は通院等住民サービスのためようです。

この他にロープウェイを運行する吉野大峯ケーブル自動車の路線バスがあるはずですが、こちらは冬期運休と分かりました。桜の時期には奈良交通の臨時バスが多数運行されるそうですが、この時期の吉野山中は基本徒歩あるいは自家用車のみということのようです。七曲坂を下るのはちょっとおっかないのでロープウェイで山を下ります。

初乗りの吉野ロープウェイのゴンドラ、昭和41年製です。ケーブルカーのように車体が平行四辺形になっていて床に段差があります。後ろの席から前の席へ移動するとぐらりと揺れました。15分ヘッドで運行されていて、発車直前にあと2人乗ってきたのですが、乗客ゼロも少なくないはず。たぶんその時は動かさないかと。

延長349m、スキー場だとゴンドラじゃなくてリフトで十分な距離で片道450円はかなり高額ですが、吉野山への貴重な足です。支柱は昭和3年製のままだそうです。

16600系の特急が見えます。あべの橋から30分ヘッドで特急急行がやってきて、青のシンフォニーまで運行しているのに、近鉄の世界遺産吉野への投資が極めて限定的なのが不思議でなりません。

吉野駅前に4軒ならぶ商店の1軒、笹岡食堂さんで温まります。6年前のお正月以来友人たちと集まるのが吉例になっているお店ですが、去年は集まれず、今年もコロナで来れなかったのが気になってました。

いつもは仲間とワイワイなのが今日はひとり、おかあさんがたっぷり話相手をしてくれて、お銚子3本開けてしまいました。自分同様「ビビリ」だというおかあさんと3mほど離れておしゃべり、ついつい身の上話まで聞いてもらいました。人とこんなに話したのは久しぶりです。面白かったのがヒヨドリのお話、笹岡食堂に8年もの間毎年居ついて、お店のアイドルになっていたそうです。

調べてみるとヒヨドリはとても賢くて人を見分けることもできるらしい。鳥見に行くと「なんだヒヨドリか」になってしまいがちですが、見る目が変わりそうです。

1番線の特急で帰ります。よくみると16010系、2両編成1本しかないレアものです。今になって晴れ間が広がってきました。吉野杉の美林が美しい。

薬水拱橋を渡ります。何度も訪ねたい場所がいっぱいある吉野線沿線です。

吉野口で青のシンフォニーと交換。でかける前に青のシンフォニーの空席状況をチェックしたら、さくらライナーとは異なりそこそこ埋まっていたのですが、青シンに乗るだけが目的で吉野山まで登る人は多く無さそうです。

橿原神宮前到着、橿原線終端部線路の手前3本は行き止まりの標準軌、向こう2本は狭軌で吉野線とつながっています。近鉄汎用特急の乗務員室後ろの窓ガラスはなぜか黄色。

2両編成でも喫煙室完備。あべの橋に到着です。

Appendix

高野山と吉野の共通点と相違点がかなり気になってきました。「紀伊山地の霊場と参詣道」として一括して世界遺産に登録されるものの、観光客数は高野山が圧倒的かと。大阪市内からの所要時間はいずれも約1時間半も、吉野の標高は蔵王堂で348m 高野山は壇上伽藍が832mで積雪量もかなり違います。この標高差で大阪市内からの非日常感がかなり異なることが高野山の大きな魅力になっているかと。

ほぼ純粋な宗教都市の高野山に対し、吉野は今や基本的に林業の町ですが、ただの林業の町ではありません。鎌倉時代に南朝が置かれたはるか以前、空海が高野山を開基した9世紀初期よりもずっと前、吉野にはたびたび古代の行宮が置かれ、大海人皇子(天智天皇)も壬申の乱で吉野を拠点とし、持統天皇は32回も吉野へ行幸しています。でも今日歩いた限りでは大海人皇子や持統天皇の足跡は何も見当たりませんでした。古代からなせ吉野が好まれたのか、南朝の頃の様子はどうだったのか、そして今は桜の季節以外はなぜ賑わわないのか、もっと探ってみる必要がありそうです。