Merci de voyage aujourd'hui avec le Nankai.

久々に高野線山岳区間へ。

南海・泉北 秋の1DAY満喫きっぷというトクトクきっぷがあると教えてもらいました。10月24日から11月3日まで有効、昨日買っておいたのですが、近鉄の1dayおでかけきっぷのように乗車日前日までの購入かと思いきや、有効開始前日までの販売と分かりました。なので今日はもう買えません。高野山や和歌山じゃなくて、なぜかなんばCITYやパークス、スカイオの200円分クーポン券が付いてました。

10時発の30000系こうや号に乗車、本日最終の下りラピートと同時発車で萌えます。天下茶屋で7割くらいの乗車率に。いつも3割も乗ってないサザン指定席とは対照的です。

直前に特急券を買ったので左側の窓際席、狭山付近からの二上山の眺めです。

林間田園都市の英文表記はRinkanden-entoshi、ハイフンの位置が変、これだと「りんかんでん・えんとし」です。でもハイフンがなかったら「りんかんでねんとし」になってしまいます。文字の意味よりも発音を優先している訳で、これはこれでオッケーかも。

山岳区間に入ると山肌ばかりの左側車窓はやはりつまらないですが、何とか特徴を探してみます。竜王渓の丹生川鉄橋で青いジャケットの撮り鉄さん発見。

中古沢橋梁を通過。変哲もない鉄橋じゃなくて貴重なトレッスル橋、下から眺めるとこうなります。

Merci de voyage aujourd'hui avec le Nankai.

フランス語ネイティブの乗客はたぶんゼロですが、まだやってました。たぶん日本で唯一のフランス語車内放送のはずで録音しておきました。車内にスイスの山岳鉄道の雰囲気が漂います。

台風被害で橋本から先が不通だった時、難波駅では「アシモト」でバスに乗り換えてくださいとフランス語で案内をしていました。

極楽橋駅に到着。こうや号の乗客は一斉にケーブルカーに、当然ケーブルカーは今のご時世にそぐわないギュウギュウ詰め。次のケーブルカーを待つことにしました。1時間に4本ほど運行されていて、六甲ケーブルや西信貴ケーブルより便利です。

次のケーブルカーを待つ人は自分だけでびっくり。ほどなく次の便が下りてきました。

去年の春から運行開始した新型ケーブルカーに初乗り、側面が黒いとは知りませんでした。車内の天井にはひのとり。

自分の他に賑やかな年配女性ふたりを乗せて発車。

高野山ケーブル全線前面展望ビデオです。289‰、304.3‰、347.1‰、360.9‰、375.5‰、390.4‰、420.9‰、438‰、455.1‰、490.7‰、501.6‰、519.8‰、536.3‰と上るほど急勾配になってます。

標高867mの高野山駅、ちょっとひんやりします。登録有形文化財のまま2015年に改装され2階にはガラス張りの展望室、金剛山が望めます。

高野山駅2階にはケーブルカーの紹介の他、姉妹鉄道になっているMOB(Chemin de fer Montreux Oberland Bernois)の紹介が展示されています。

MOB ABDe8/8型電車のHOm(12mmゲージ)モデル(たぶんLemaco製のブラスモデル)が目を引きます。架線柱や架線はSommerfeldt製かと。架線集電ができるはずです。かつてHOmモデルにかなりハマっていたことがあって多少詳しい自分ですが、とてもお金が続かないのであきらめました。

グルメの比較で南海は精進料理、MOBはチーズ(たぶんエメンタール)の紹介。

高野線かつての名優たち、21001系、20001系、22001系はNゲージで紹介。先代ケーブルカーの搬出シーンのパネル、お坊さんたちが整列してお見送りしてます。

南海・泉北 秋の1DAY満喫きっぷではバスに乗れないので、ここで引き返します。

よく見ると2両編成になっていることに気づきました。

420.9‰部分で対向のケーブルカーと交換します。

来る時におばさんたちが話していた滝が見えました。写真では伝わっていないですが、想像したより勇壮でビックリ。

ケーブルの極楽橋駅には美しい天井画。

こうや号の発車を見送ります。

極楽橋たもとのお地蔵さんの前で、トンネルから出てくるこうや号。

1番線に停車中の橋本行に乗ります。ケーブルカーは高野線から垂直方向に向かっていて、チラッと見えることに初めて気づきました。

高野山駅の売店で名前に惹かれて買ってきた般若湯、2000系のボックス席の窓枠が狭いのが残念です。

ベテランっぽい女性社員さんが大きなダンボールを抱えて添乗。駅員さんがいる駅毎に、ネクタイや帽子まで制服一式を配布、なぜか紀伊神谷駅だけお弁当付でした。

紀伊細川駅のバックミラーに写った2000系です。高野下駅で下車。

古びた駅舎をそのままに、乗務員待機所を客室に改造した2室だけのホテルになりました。トイレの右側がその入口のようです。結構なお値段がするのですがスタッフは常駐しておらず、コンビニも飲食店もなくUber Eatsもエリア外の高野下で食事はどうするのでしょう。

ずいぶん綺麗になった高野下駅です。難波行こうや号が通過。下枠交差型パンタ2丁の赤い特急が緑に映えます。毎度出迎えてくれるキセキレイが今日は見当たりません。

橋の上で柿の無人販売のようですが、値段も何も書かれていません。極楽橋行天空が通過。

高野下駅裏山の椎出厳嶋神社、毎年お盆に「鬼の舞」という南北朝時代以来の奇祭行われているのですが、今年の情報はいくら探しても見当たりません。鬼滅の刃が大ブームなので、今年も開催されていたら、必ず情報があるはずです。

隣接するお堂は地蔵堂、柿が供えられています。富有柿の名産地、九度山町です。その脇の道を上って行くことにします。

高野下折返しの2300系2連が到着。平日休日とも高野下折返し運用が数本設定されています。乗降客数は九度山から先は激減するのに、急勾配急曲線を上って高野下で折返ししてくれるのは嬉しい限りです。

高野下を俯瞰できる場所まで急坂を登ってきました。

急坂の苔むした縁石にキセキレイ。やっと会えました。

ちょこちょこ走りまわていたのが、なぜか上を見上げたまま固まってしまいました。

2300系2連が橋本へ折返して行きます。

椎出厳島神社の斜めに傾いた杉の木です。明治時代に古沢厳島神社と合祀され、椎出は社殿が残るだけだそうですが、鬼の舞はここで行われています。

高野下駅の階段の壁に昔の様子が数枚のパネルで紹介されています。高野山森林鉄道の写真は初めて見ました。下の写真の機関車は加藤製作所製っぽいです。高野下から九度山まで線路跡を歩いたことがあります。竜王渓の撮影ポイントはその途中です。

もう1枚は昭和初期の高野下駅の写真。駅舎は今と同じですが、町に賑わいがあります。昭和3年までここが南海鉄道の終点、2500人が暮らす集落で旅館や茶店も多くあったそうです。昭和4年に極楽橋まで開通、昭和5年にケーブルカーが開業するまでは、ここから高野山まで歩いていたんでしょうね。

2300系4連がやってきました。おっ、キセキレイが見送りに来てくれました。

トンネルを抜けて丹生川橋梁で竜王渓を渡ります。学文路駅で下りてみました。初めて下りる駅です。

学文路駅西側の踏切から撮り鉄。

紀の川が直ぐ近くです。何やら大きな鳥が小さな鳥の集団を追いかけていたのですが、大きな鳥はカワウ、小さな鳥の集団は不明。

駅前のイラスト看板、「合格祈願」で町おこしへの熱い思いが伝わってきます。ご入学にひっかけて入場券5枚セットが今も南海主要駅やネットで販売されていますが、無人駅の学文路駅では買えません。山裾の高台にある白い木造駅舎、急な階段の脇にスロープもあります。

学文路といえば、祖母が毎月くらい学文路のお大師さんにお参りしていたのを思い出します。学文路の他に、田辺まで漢方薬を買いに行く時くらいしか、電車に乗ることなどめったにない、怒った顔を見せたことのない、優しさ100%の大好きなおばあちゃんでした。

2000系橋本行がやってきました。かなり遅いランチタイムへ向かいます。

来る前にGoogleマップをチェックしていると、橋本駅前の三角亭さんが営業を再開していると分かりやってきました。以前よりかなりメニューが豊富になっている感じです。ここでもBランチがあったので注文、あまりの盛りだくさんにびっくり、ひとり分でこんな注文してしまって、スミマセンと謝ったら、ぜんぜんぜんぜん、という返事。

大将が病気されてしばらく休業していたものの1年前くらいに営業再開されたそうです。これで橋本のベースが復活です。

だいぶ日が傾いてきました。6300系急行かぶりつきをゲットして帰ります。