京成立石のこと

京成立石駅構内にけいせいたていしプラレール駅が登場、京成電鉄、タカラトミー、葛飾区の共同企画で、オープニングイベントには、京成パンダ、プラレールキャラのてっちゃんの他に、金町南口商店街のみなみちゃん、堀切商店連合会のほりきりんも応援に駆けつけていました(参考)。

京成立石はタカラトミー本社の最寄り駅、おもちゃの仕事に携わっていた時には何度も通った立石です。当時プラレールのマーケティング担当だったKさんのことを思い出しました。ディープな鉄ちゃんではなかったかと思いますが、「プラレールを愛してます」と公言する、優しさがネクタイ付けて歩いているような人で意気投合、プラレール販売に一緒になって色々工夫を凝らした思い出があります。どうしてられるかな、とググってみたら、ある博物館の館長さんに就任されていることが分かりました。あまりにもKさんにピッタリのお仕事でビックリした次第。

京成立石にはもうひとつ忘れられない記憶があります。15年程前、この駅で死にかけました。酔っ払ってホームから落ちたのです。詳しくは6年前のブログに書いています。怪我をした時の記憶はやはり曖昧ですが、救急車の中の光景をうっすらと思い出しました。今も考え直してみるとゾッとするものの、言葉を変えると、京成立石は命を拾った駅でもあります。

駅南口にはハイハイタウンになる前の上六の闇市はこんな感じだったのではと思わせる昭和30年代にタイムスリップしたような飲み屋街が広がっています。今で言うせんべろのお店もいっぱいありますが、強烈なインパクトが残るのが、北口からタカラトミー本社へ向かう通りにある、鶏の唐揚げの鳥房、4年ほど前の写真です。唐揚げじゃなくて、素揚げといった方がいいと思うのですが、外はパリッと中はジューシー、写真は手羽先くらいに見えますが、半身丸揚げです。

お店のルールが厳しくて、このページにもあるように、酔っ払っていると入れてくれなかったり、お店の人が煩く指図するので、気の短い人は要注意ですが、お店のおばちゃんたちの言うがままに従えばとても楽しく美味しいお酒と鶏をいただけます。もう1枚はその晩2軒目のホッピー黒、関西ではなかなかお目にかかれません。

京成押上線で唯一地べたに残された立石駅も高架工事が始まっており、2022年完成予定だそうです。駅周辺の再開発も着手され、36階建ての高層ビルが建てられ区役所も引っ越してくる計画です(参考)。昭和レトロの町が大きく変わるのは寂しいものの、自然保護や景観保護とは異なり防災対策も不可欠、ポジティブに捉えたいと思います。

京成3500系の写真は同じく4年前、立石の写真がないので高砂です。金町線だけ高架になって本線と北総線の上に高架駅が作られ、車庫から入線する場合は、元の金町線の線路から複線を逆方向に進入し柴又駅との中間点辺りの渡り線を使うようになっていました。2010年のことで、上野や押上から金町行の電車は物理的に運行できなくなってしまっていました。寅さんに金町駅が登場した記憶がないので、柴又へのルートは基本上野か日暮里からだったはず、おい、金町行が来ねじゃねえか、柴又に帰れねえじゃねえか、と駅員に突っかかるところでしょうね。

もう1枚は京成高砂駅の東側、京成本線、北総線、入出庫線に分岐、線路フェチには東の大和西大寺と言っていいかも知れません。ちらっとAE100形が見えます。まだ船橋経由のシティライナーとして運用されていた頃です。

社会人になって初めての職場は立石のお隣、青砥(住所はなぜか青戸)で、本線側のお隣、お花茶屋にあった社員寮に半年くらい住んでました。同じく大阪出身のルームメイトと入ったお花茶屋駅前のお好み焼き屋さん、壁に貼ってあったメニューに「もんじゃ」とあって、何やろう、と頼んでみたら、ミニミニサイズのコテと、しゃぼしゃぼの生地が出てきて、どうやって食べるのか全く理解できませんでした。お店のおばちゃんに頼むと、いきなり生地の中にソースをどばどばっと注いで、それを鉄板に流し込んだのにはビックリ。でも「せんべい」と呼ばれる、ソース味のついた生地が鉄板の上でどろどろの円形からはみ出て薄くなったパリパリの部分がえらく美味しかったことを今も覚えています。

その後月島もんじゃとか有名になりましたが、キャベツで土手を作って中に生地を流すとか、もんじゃが1000円もするとか、気取り過ぎです。もんじゃの元祖は、店の奥に鉄板のテーブルが置かれた駄菓子屋さんで、子どもたちがお小遣いで食べられるおやつ、大阪のたこ焼きとほぼ同じ感覚です。今でも立石や亀有辺りにもんじゃを提供する駄菓子屋さんがあるはずです。

亀有も大好きな町、というか思い出があり過ぎる町です。立石駅が高架になる前に京成電車で葛飾ぶらり町歩きしてみたいものです。矢切の渡しに乗って松戸側の田んぼで鳥見もいいな。