北宇智、五条 2018
中学生の自分が撮り鉄した北宇智や五条の今はどうなっているか、実際に見に行ってみます。近鉄を大和高田で下車、10分程歩くとJR高田駅。
105系
王寺-和歌山の和歌山線ですが、基本パターンではJR難波から直通の221系4連高田行快速が30分ヘッド、高田より先は奈良から桜井線をぐるっと回ってきた105系2連が、高田で方向転換する和歌山行が1時間ヘッド、いっぺんに不便になります。
和歌山側がクモハ105-518、高田側はクハ105-8のSP001編成、どちらも元常磐緩行線・千代田線の103系1000番台の改造ですが、クモハ105-518は中間車モハに新しい運転台を取り付けた新しい顔、クハ105-8は元からクハで常磐線時代のままの顔です。それも簡易冷房改造で屋根にはグローブ形ベンチレーターだけがが並び、103系1000番台の原型イメージを強く残しています。
クハ105-0番台のクーラーが荷物棚の上に設置され、JR西日本のロゴが付いた扇風機も回ってます。
運転台はほぼ103系と同じです。車内には227系登場の中吊りが並び、見る限りこれとワカカツの広告だけで、積極的な広告取りはしていないようです。
掲示板状態の運転室後ろの壁です。クハ105-8は昭和58年までクハ103-1042として松戸電車区所属(参考)、松戸、我孫子、柏と、長年常磐線民だった自分ですが、昭和58年時点ではまだ八千代市に住んでいたのでこの電車とは当時ご縁がなかったはずです。ただ常磐快速に転用された同型には嫌というほどお世話になりました。
103系1000番台と同期の東京メトロ6000系もついに引退、小田急9000系は10年以上前に全廃、103系1000番台の後継207系も7年前に全廃、ただ6000系と207系はインドネシアで余生を過ごしているらしく、会いに行ってみたいものです。
御所から玉手へ90°カーブ、後方正面に大和葛城山。いい撮影ポイントになりそうな直線区間です。
吉野口に到着、あべの橋行急行とすれ違い、奈良行と交換。
近鉄薬水駅が見えます。この写真を反対から見ていることになります。
北宇智
北宇智に到着、クハ105-8を見送ります。
棒線駅になってしまったホームの柵の外にスイッチバック時代のホームがほぼ完璧に残っています。中学生の時に撮った北宇智駅に停車中の「虹のまちふるさと号」の写真でC58の向こうに見える家は変わっていないようです。
和歌山側は21‰の下り勾配、ホームは勾配上にあるのですが、ホーム上に立ってそれを感じるほどではありません。
中学生の自分が撮った北宇智駅のもう一枚の写真とほぼ同じ角度から撮ってみます。薄緑色の壁の二階家は47年前のまま、踏切の辺りで線路は緩いS字カーブを描いていて、分岐ポイントがあったことが分かります。
スイッチバックの引き上げ線の線路も一部残されています。勾配上のホームに山小屋風の駅舎、その向こうに駅舎と統一されたデザインのトイレがあります。
北宇智駅から金剛山へ登山道があり、健脚向きで葛木神社まで3〜4時間だそうですが利用するハイカーは少なそうです。かなりいい感じの散髪屋さんが営業中。
引き上げ線跡と本線の勾配標、9.0‰のちょっと先から20‰です。坂道の真ん中にイソヒヨドリ♂。
10分ほど歩くと視界が広がり金剛山全体が見渡せる場所に出ました。10分程待って上り奈良行105系を撮ります。レンズを寄せたいのをぐっと我慢して撮りました。京奈和道さえなければ…。
このもうちょっと先に和歌山線が125°くらい回転するカーブがあります。もう1時間この辺で時間をつぶすのも楽しそうなので次の下りを狙ってみることにしました。
125°カーブの両側は小山に挟まれていました。
ツマグロヒョウモン♂がきれいに撮れました。向こうにイチモンジセセリもいますが、両方をくっきり撮るのは無理です。
チャバネセセリもいました。ピンクの花びらの内側にパイナップル状の膨らみがありそこからさらに黄色い小さな花が咲いてます。さんざんググってみたものの名前がわからず、GreenSnapというアプリを入れ、質問してみたとこら、すぐさまふたりの方からヒャクニチソウでは、との回答をいただきました。花の名前調べ、ハマれそうです。
ニホンミツバチもかわいいです。アキアカネはまだ熟していません。
川にはキセキレイ。来た道と違う道を行くと、さっき金剛山全体を背景に105系が走っていた広〜い場所にでてきました。右手は高野山辺り、左手は吉野から大峰山系まで一望できます。
架線柱は向こう側、撮り鉄して失敗が少なそうな場所です。20分ほどスタンバイして次の上りを狙います。
ここでもイチモンジセセリ、わずかにヒガンバナも残っていました。
木立の間を抜けて105系がやってきました。画面左の三角錐の山は栃原岳531m、その向こうは大峰山系、栃原岳のすぐ左上辺りが山上ヶ岳です。画面中央の奥は近畿最高峰の八経ヶ岳1915m、釈迦ヶ岳1800m辺りかと。
クハ105-5とクモハ105-515SW008編成、簡易冷房じゃなくて、ちゃんとした集中型クーラーを積んでます。
京奈和道をくぐって京奈和道が見えない角度から金剛山です。北宇智駅へ戻ります。
構内を跨ぐのは住川街道踏切、引込線部分は柵で囲われています。住川とはこの辺の住所で、すぐ近くの国道24号沿いのバス停は北宇智駅前とかじゃなくて住川、大和高田-五條の路線バスの他、大和八木-新宮の特急バス、それになんと新宿行きの夜行高速バスも止まります。改めてマップをチェックしてみると、駅周辺は里山ですが、駅東側にテクノパークならという工業団地やエルベタウンという分譲住宅地が広がっていました。
スイッチバック駅と本線とのシザースクロスがあった辺りに転轍機跡らしき枠が残っています。
中学生の自分が先輩撮り鉄さんの後ろから遠慮しつつ撮った1枚とほぼ同じ角度、緩いS字カーブを描きながら20‰勾配を下りてきたのはC58ではなく105系です。
北宇智駅のおおまかな配線図を描いてみました。破線は廃線部分です。
スイッチバック駅には北宇智のようなシザースクロスを中心にしたX字形と、Z字形があります。Z字形は純粋に高低差を稼ぐためのスイッチバックで、箱根登山鉄道が有名です。X字形は勾配の途中に駅を設置するためのスイッチバックで、北宇智もたかだか20‰程度の勾配上にあります。X字形の場合、急行列車、貨物列車が通過する場合、駅を横目に見ながら直進するだけですが、勾配上に駅を設置すると粘着力の無い蒸気機関車が停車してしまうと登れなくなってしまうためです。現存するX字形のスイッチバック駅としては、四国の坪内駅へ行ったことがあります。
五条
五条駅北側の跨線橋を上ります。線路の真上は高い金網があって上手く撮れないものの、駅裏側から、王寺方向、和歌山方向の概ね全体が撮れました。王寺側から五条機関支区跡への線路はまだ繋がっているようです。
和歌山側、中学生の撮ったハチロクの写真の木造の詰所はほぼ当時のままです。その手前のこんもりした樹木の場所に給水塔があったはずです。詰所と3番線の間の給炭台、給炭台で行き止まりの和歌山側からの側線もありません。
1980年の五条駅を紹介されているページをみると、ハチロクが停泊していた側線が和歌山側で本線と合流する途中に分岐線があり、白い2階建ての建物の向こう側にターンテーブルがあったこと、給水塔の真裏に機関庫の木造上屋があったことも分かります。
現在の写真手前の2本の側線は架線が張られているものの、手前の側線のみレールが光っていてその隣はレールが錆びついています。8月に枯木灘へ行った時、和歌山から紀伊田辺まで乗り鉄した117系の333Mの直前の運用は五条で夜間停泊の和歌山線1429Mです。この他にも五条夜間停泊の運用が複数あるようで、この一番手前の側線も利用されているようです。
五条駅近くの商店街です。シャッター通りというより殆ど廃墟と化していて、人っ子ひとり歩いていません。古い商家が並んでいるものの、既に取り壊され空地になっているところも少なくありません。商店街なのに商売をやめて普通の住宅に建て替えられている家屋も少なくありません。
坂道の元タバコ屋さんがいい感じです。たばこだけじゃなく麻雀牌やプラモデルも販売していたようです。五條新町まで歩くと次の和歌山行に間に合わなくなるので、途中で引き返しました。北宇智のように自然が広がるところで1時間はあっという間ですが、ここで1時間つぶすのはちょっとキツイです。
五條(駅は五条で、市は五條)には3年前の春に来ています。江戸時代の街並みが残る五條新町や幻の五新線高架橋跡も見に行ったのですが、ブログには鯉のぼりのことしかアップしていません。さして自分の興味を惹かなかったようです。
この3年前の春のブログ、まだスルッとKansai 1dayきっぷがあった頃で、黒こうや、赤こうや、紫こうやが写っています。ブログにアップした写真以外の写真もチェックしてみると、難波→紀伊細川で猫たちに挨拶→高野下→森林鉄道跡を歩いて丹生川橋梁で撮り鉄→九度山→橋本→五条→五條新町→五条→吉野口→橿原神宮前→上本町、と日帰りとしてはかなりの移動に我ながらびっくりです。
五条駅に戻り橋本経由で帰ることにします。電車が来るまで少し時間があるので、地下道をくぐって2・3番線ホームへ。詰所は2棟に分かれていたのが1棟にまとめられ、黒い瓦で継ぎはぎされています。ドラム缶やブリキのバケツは無く、クーラーの屋外機が置かれ、ドアはアルミサッシになっているものの、50年前の趣はたっぷり残っています。遠景は青空が広がってきた金剛山。
かなり年代物の木造上屋、停車中の105系は始発の和歌山行、3時を過ぎると運行本数が増えることに気づきました。であれば五條新町まで行っても良かったです。
電車を待つ人が増えてきて座る場所はなくなりました。柿の葉ずしのたなかの売店が営業しています。たなかの本社は五條です。奈良市民の母が柿の葉ずしは平宗より、たなかが美味しいと言っていたのを思い出しました。
クモハ105-512とクハ105-2のSP005編成です。よく見ると天井に冷房用のダクトらしきものが張り巡らされています。ぐわーんという唸り音が聞こえてきてどこから音がくるのかキョロキョロしていると向かいの席のおばあちゃんが「あれですわ、うるそうて前に座ってられへんから移りましてん」と指さしたのが優先席前、てっきりトイレだとばかり思っていたのがどうやら冷房の室外機みたいな機械室になっているようです。
でも遠からず、うるそうて座ってられない電車は引退です。JR西日本が赤字路線に何十億円も投資しての新車導入はさぞかし難しい判断だったかと思います。五条駅周辺の寂れようを227系が少しでも何とかしてくれそうな気がします。「虹のまちふるさと号」のようにJR難波から五条へ227系ホリデー快速を走らせるだけでも結構効果的かと。逆方向に日根野発五条行とかだとかなりインバウンド需要も取り込めるはず。あと五条駅から五條新町へ大阪城みたいなEVのロードトレインを走らせるとオッケー。
橋本に到着、向こうに見える難波行急行の発車まで少し余裕があるので、ホーム隅っこの喫煙コーナーで一服。跨線橋を上がって乗り換えようとしたらicocaが使えないことに気づきました。慌てて駅員さんのいる改札へ周り精算、南海の駅員さんがドアを締めるをちょっと待ってくれて何とかセーフ。爆睡して難波到着。