北宇智、五条 1971

和歌山線・桜井線の105系がいよいよ新型227系に置き換えられることになりました。オンボロ電車と散々揶揄してきた105系が奈良盆地や紀の川沿いを走るのも残すところ1年半です。

その105系が登場する前、非電化だった頃、スイッチバックの和歌山線北宇智駅へ撮り鉄に行った時の写真がでてきました。紙焼きをスマホで撮って、いくらかレタッチしています。

北宇智

貨物列車を撮ったはずと思っていたら、C58 354号機牽引の旅客列車、それもヘッドマークを掲げたイベント列車です。不鮮明でヘッドマークの文字が読み取れないのですが、さんざんググって「虹のまちふるさと号」と判明(参考)。昭和46年11月3日文化の日、自分は中学2年生です。

その時の記念乗車券を販売しているサイトも見つかり、湊町から五条往復の運行ということも分かりました。翌年の国鉄開業100周年と、前年の大阪万博直前に開業した虹のまち(現なんばWalk)がこの年の12月に迎える第2期開業を祝ってのイベント列車だったようです。明確な資料が見つからないものの、第1期の時点では日本橋駅と繋がっていなかったような記憶があります。

近鉄難波の開業は虹のまちと同時ですが、湊町駅が移転して地下になったのはずっと後で平成元年、電化完成も昭和48年です。つまり当時最先端のモールだった虹のまちから外に出てすぐところにあった、キハ35系やキハ58系が並ぶ煤けた湊町駅を発車した「虹のまちふるさと号」がスイッチバックの北宇智駅に到着したところです。

旧型客車(たぶんオハ35系)のドアを開けっ放して身を乗り出している鉄ちゃんもいます。今ではまずあり得ません。

上のシーンの直前「虹のまちふるさと号」が北宇智駅へ進入するところです。

本線の線路内に入り込んで三脚を並べる鉄ちゃん達、自分もそのひとりな訳ですが、今なら列車は緊急停車、警察が飛んでくるはずです。ただ列車は左側へ分岐するスイッチバック駅へ進入するので、こちらには向かってきません。

ちなみに中学生の自分は三脚とか持っておらず、確かハーフサイズのコンパクトカメラ、キャノン・デミを手持ちのハズです。

SLではなく、鉄ちゃんの背中を撮ってるなんて、なんとも生意気な、いけ好かない中学生ですが、撮り鉄のおっちゃんやニイチャンの近くで撮る度胸がなかったというのがたぶん真相です。

それに、煙をモクモク上げて坂を上ってくるはずの湊町行「虹のまちふるさと号」は撮らずに帰ってしまっています。まだ良くわかっていなかった自分です。

五条

「虹のまちふるさと号」を追いかけ北宇智から五条へ向かったようです。でも写っていたのは虹のまちふるさと号牽引機とは別のC58 234号機、機関助士さんが給炭中。「田」は田町じゃなくて紀伊田辺機関区です。

機関士さんはボイラに上って整備中。蒸気溜めの後ろの角ばった箱は重油タンク、石炭を燃やすだけじゃなくて、補助燃料として投入、勾配区間のパワーアップに使われていたようです。

こちらも旧型客車を連ねています。イベント列車だけじゃなくて定期旅客列車もまだ蒸気機関車が牽引していたようです。

中学生の自分を褒めてあげたくなくような、よくできた構図です。正面二枚窓湘南顔の気動車、キハユニ16も見えます。これに乗った記憶はないものの、10系気動車の後ろの席の人の背中が感じられるペコペコの座席の座り心地はよく覚えています。

重油タンクだけじゃなく煙突に集煙装置も付けられた重装備のC58 234号機です。これより10年前、昭和36年の和歌山線の時刻表が見つかりました。和歌山線は運行系統が基本的に五条で分けられていて、五条までは湊町から直通の気動車、五条から和歌山市への主力は客車列車です。和歌山線の王寺-五条間の電化は昭和55年、全線電化の昭和59年まで五条での運行系統分割は長く続いていたはず、この発車寸前のC58 234号機が牽く列車は五条始発の和歌山市行普通列車で間違いないと思います。

話がそれますが、昭和36年の時刻表の和歌山は現在の紀和駅です。和歌山線から現在の和歌山駅(当時の東和歌山駅)へは紀伊中ノ島で乗り換えていた訳です。東京から急行大和から切り離された2等寝台車1両が和歌山市まで運行されているのが目を引きます。

この写真、北宇智だとばかり思っていたのですが、北宇智とは線路配置が違うし、さらに機関車が重油タンクを積んでいて、上の写真で煙を高く上げているC58 234が牽く和歌山市行普通列車が五条駅を発車するシーンです。

五条機関支区です。古豪ハチロク、78675号機が給水塔と給炭台に挟まれたアッシュピットをまたいでいます。型式名入りナンバープレートとシールドビームに取り替えらたヘッドライトがスッキリしたスタイルのハチロクによく似合ってます。

給炭台に子どもたち、ドラクエのダンジョンの入口みたいな給水塔、詰所のドラム缶にブリキのバケツ、箒木が立てかけられています。北宇智や五条が今どうなっているか、確かめてみたくなりました。