和歌浦のチヌ

タイトルだと釣りに出かけたみたいですが、目的はこの時期に干潟に現れるはずのある生き物観察です。

観海閣

和歌山駅でレンタサイクルを借りて、Google Mapで気になっていた和歌浦の干潟に突き出た小島、妹背山に到着。三断橋という江戸時代初期に架けられた石橋で繋がっています。

小島の先端の観海閣、徳川頼宣が建てた楼閣は昭和36年の台風で流され、色気のないコンクリートの建物が立ってます。

ヤマトオサガニがいっぱいいます。

ハクセンシオマネキもいました。でも数は少く、ウェービングアクションもしていません。繁殖期にはまだ早いようです。

水の引いた干潟にはウミニナの貝殻がビッシリ、貝殻だけなのか中に入っているのか分からないので、歩き回るのは止めておきました。磯だまりになったところではウミニナがゴソゴソ動いています。

片男波

目的の生き物は見当たらず、シギチも全然いません。片男波の砂嘴へ行ってみます。

片男波公園を抜けると、砂嘴の上に狭い堤防の道が続いてます。そこへヒバリが。

砂嘴の根本から先端まで2km弱、今日の相棒のレンタサイクルで記念写真。

振り返ると、海の向うに雑賀崎と章魚頭姿山たこずしやま。右手には干潟を挟んで名草山、この麓に紀三井寺があります。

戻りかけると白い鳥がこちらに向かってきました。上空にきてやっとミサゴと気づき、レンズのフタを取った時は既に遠くへ。

チヌ

塩竈神社の手間の橋の下に30cmクラスの魚が10尾くらい、チヌ(クロダイ)です!

近くに釣り人がひとりいて教えてあげようかと思ったのですが、たぶん気づいているはず。見える魚は釣れない、ということでしょうね。でも水深20cmくらいで、柄の長いタモがあれば掬うことだってできそうです。

白っぽいのもいます。色々調べてみたものの分からず友人に問合せ、キビレチヌと分かりました。Hさん、ありがとう!

お昼はやはり和歌山ラーメンにします。紀三井寺競技場交差点角の○宮まるみや

醤油豚骨スープの和歌山ラーメンには、しょうゆメイン醤油豚骨の「元車庫前系」と、とんこつメイン醤油豚骨の「井出系」の2種類があります。ここ○宮は元車庫前系の代表格で、元車庫前とは、和歌山市堀止にあった南海和歌山軌道線の車庫の周辺にしょうゆメイン醤油豚骨のラーメン店が集中していたことに因むそうです。

3月に海辺の熊野古道へ行った時に〆に食べた井出商店のラーメンの写真と並べてみます。入っている具もほぼ同じ、スープもすごくよく似ていますが、○宮のほうが微妙に黒いですね。だからといってしょっぱいというほどでもなく、コクの違いかも。

亀の川という干潟に流れ込む小さな川の河口を覗くと、ここでもキビレチヌが10尾くらい。

川はある程度水深があるものの河口はほぼ干上がっていて、潮が満ちるまで海に戻れないキビレチヌたちです。

さっきまでいた片男波の砂嘴の先端の対岸に出てきました。

干潟に沿って心地いい道路が続いています。いかにもシギチが好みそうな干潟で、ウミニナやカニ等餌も豊富なのは確認済みですが、1羽も見当たりません。旅鳥たちが去ってしまったとしても留鳥がいてもおかしくないはず。ググってみても和歌浦のシギチの記録はかなり限定的です。ここから20kmくらいしか離れていなくて、ここよりずっと狭い男里川河口干潟の方がずっといっぱい記録がでてきます。

若の浦に潮満ちくれば潟をなみ葦辺をさしてたづ鳴き渡る - 山部赤人、と万葉の時代から歌われているにしてはもう少し鳥がいてほしいところですが、この歌にも描かれている葦辺が無いのが、鳥が来ない原因ではないかと推測、餌はあっても猛禽に襲われたら逃げ隠れる場所がありません。

それに今日の目的の干潟の生き物も全然いません。目的の生き物とは実はトビハゼです。事前にかなり調べてきて、有明海以来の再会を楽しみにしていたのですが、どうもタイミングを間違ったようです。ま、チヌやキビレチヌにいっぱい会えたことに満足して引き上げることにします。

雑賀崎

真っ直ぐ帰るのはもったいないので、雑賀崎を回ってみます。和歌浦漁港を過ぎ、岬への坂道で漸くイソヒヨドリ。

今日のレンタサイクルは7段変速のクロスバイクで、自分の自転車よりもトルクがあり、割りと楽に坂を登っていきます。岬へのワインディングロードに沿って、営業しているところもちらほらあるものの、元リゾート施設らしき廃墟が立ち並んでします。

眼下に見えるのは雑賀崎漁港。自転車を漕ぐのに必死で、写真を撮り漏らしましたが、和歌浦漁港と雑賀崎漁港の間の海はかなり綺麗で、改めて来たいと思います。

最後の坂道は息を切らしながら自転車を押して雑賀崎灯台にたどり着きました。

雑賀崎の眺めです。細長いゴルフ場みたいなのは番所庭園、行ってみたいものの帰りにまた坂を上らなければならないはずで、諦めます。

眼下をトンビが飛んでます。かつて一大リゾート地だった和歌浦、時代に翻弄され、あるべき姿に戻ってきたのかも知れません。

和歌山

へとへとになって和歌山城まで戻ってきました。

今日の相棒のクロスバイク、タイヤは細めで硬め、かなりお尻が痛いです。サドルは一番低くしてもつま先が立つくらい。このためハンドル位置が低くなり、腕にかなり負担がかかる格好でペダルを漕いでました。基本的に箸より重いものを持ちたくなくて、からきし腕力のない自分としてはかなり辛い姿勢で、二の腕が痛くてたまりませんでした。

ママチャリのように、ハンドルが高くて重心がかからず前輪がステアリングだけになると力が入らず走りにくいですが、前輪に重心がかかりすぎるのも辛いとわかりました。自分のオンボロ自転車が、極めて上手くチューニングされていることに気づかされました。

和歌山城からJR和歌山駅まで僅かな距離なのに、もうフラフラ。それでも坊主丁という地名に惹かれちょっと引き返してパチリ。和歌山では武家町は町ではなく丁と書くそうですが、坊主丁という僧侶に対する敬意の欠片もない地名、敬語が存在しない和歌山弁っぽいです。

ちょうど283系のくろしおがやってきました。乗りたいところですが、ビール2本分以上する特急券代はもったいないので、やはり紀州路快速で帰ることにします。

多くの人がくろしおに乗り込んでいきました。以前なら和歌山-天王寺間で特急に乗るという感覚は一般的にあまりなかったはずですが、今や天王寺まで紀州路快速だと71分、くろしおだと45分、差が大きすぎるので、くろしおを選ぶ必然性は成り立つのですが、自由席特急券970円はズルいと言わざるを得ません。

4両編成の紀州路快速は朝同様に優先席しか空いていませんでした。くったくたで早く帰りたいものの熊取まで各駅停車、それに日根野で関空快速を連結するので4分も停車。戦前の阪和電鉄や昭和50年頃の新快速が45分だったのは今や昔、どんどん劣化している阪和線です。

南海のサザンは難波まで1時間を切り、混んでいたら指定席という選択肢があるものの、30分ヘッドで自由席はロングシート。阪和線は15分ヘッドも、4両編成でクロスシートでも片側は1列しかなくて、103系のロングシートより座席数は少なく補助椅子もありません。

自民党の幹事長さんは確か和歌山が地盤のはずですが、紀州路快速やサザンの自由席には乗ったことがないんでしょうね。行ってみたい魅力的な場所が和歌山にはいっぱいあるのですが、似たようような距離感にある大津や明石と較べて何とも不便です。