阪急のオールドタイマー
阪急電鉄社員の友人に誘ってもらって2年半ぶりに阪急レールウェイフェスティバル、2日続けて鉄道イベントです。
正雀に着くと既にP-6がスタンバイしているのが見えました。
まずは900形の体験乗車を予約しておいて600形602号の展示へ。開場したばかりで、殆どの人は、グッズの販売やオークションコーナー直行なので、この辺は人がまばらです。
600形は大正15年製、レトロモダンな照明とピッカピカの天井に復元されています。
昭和25年の運賃表、路線図から雲雀ヶ丘と花屋敷が別の駅だったことがわかります。それ以上に変化が大きいのは千里線。まだ千里山から先は開通しておらず、大学前、千里山遊園、市役所前、という初めて聞く駅名が並んでいます。Wikipediaによると千里山遊園というテーマパークがあったものの昭和25年に閉園、大学前駅と統合されて今の関大前になっています。
市役所前も当時の吹田駅と統合されて、今の吹田駅になった由。千里線(当時は千里山線)は北大阪電気鉄道という会社により大正10年に十三-千里山間が開業も、開業間もない大正12年には阪急京都線の前身となる新京阪鉄道に買収されています。そもそも何故、都市間輸送でもなく、観光輸送でもない千里線が作られたか不思議ですが、千里丘陵に霊園を開発するに当って計画されたそうです。
着工から僅か2年程で開業しているのも興味深いです。大正時代の鉄道事業は今とは比較にならないような小資本で容易に参入できるビジネスだったようです。小林一三もその一人だったと言えそうですが、小林一三の場合、鉄道事業創業後の経営者としての才能や行動力が抜きん出ていたということのようです。
復元された昔の中吊り広告、カラーコピーとかじゃなくて、おそらく昔の広告を元に新たに版下を作りなおしているようですが、当時こんなコート紙の中吊り広告があったとは思えず、ちょっとやり過ぎかも。
「大阪ゆき35分」は昭和元年の広告です。この602号が製造された年でもあります。
大阪梅田-神戸上筒井、となっています。調べてみました、上筒井。当初から阪急は三宮へ乗り入れる計画だったものの神戸市と折り合いがつかず暫定的なターミナルとして開業したのが上筒井駅です。王子動物園から100m程西、現在の兵庫県福祉センターの場所にあったそうです。ここから神戸市電と接続し、長田で「宇治電」と呼ばれていた山陽電車と接続しているものの、神戸市電に阪急や山陽が乗り入れしていたという記録は見当たらず、広告の「乗替なし」は意味不明です。
上筒井が王子公園と春日野道の中間位に位置していたとして梅田から30km、表定速度は50km/hを超えています。最高80km/h近く出していたのでは、昭和元年に。
廃車後、長く製造元の川崎重工に保存されていたのが、阪急に譲渡され、この正雀工場で4年前に復元されたそうです。
片側にパンタグラフ、反対側にはポールが装備されています。
900形(昭和5年製)+P6(100形、たぶん昭和2年製)の体験乗車が始まりました。前回P6に乗ったので今日は900形に乗車します。
900形は神戸線、P6は京都線の車両です。900形のパンタが上がっていませんが、自走できるそうです。
900形の車内、扉間は転換クロスシートですが、横幅がかなり狭いです。昔の人は体が小さかったからかもしれません。
網棚のアームの円とか、昔の人のデザインセンスの高さに驚かされます。
阪急といえば、この木製鎧戸、見事に復元されていてちゃんと機能します。
900形の運転席、計器はブレーキに直結した圧力計だけ、昔の電車には速度計も装備されていなかった訳で、運転手はかなり高度な技術が求められたはずです。運転席右側には手ブレーキ。
構内を300m程2往復します。右手奥は2300系の2301と2352、10年前に廃車以降も現在の阪急電車の礎を築いた車両として保存されていて、塗装は剥げ落ちているものの、車体に補修箇所の指示がチョークで書かれていたりして、いずれ復元されるものと思われます。
行先表示器が無くておなかにライトがない最も阪急っぽい顔、いつになるのかは全く分かりませんが、復元が完了したら、嵐山線辺りで走ってくれないかなぁ。南海の7000系もほぼ同世代の車両、南海の功労者もぜひとも同様に保存して欲しい。
美しすぎるP-6のリベット。
黄色いシャツのお兄さんは学生班のバイト君です。毎朝夕のラッシュ時にお世話になっている人も多いはず。ググッていたら自分とほぼ同世代の方の阪急電車学生班青春記というページにたどりつきました。30年程前の自分のことを、つい最近のことのように思い出させてくれるような素敵な文章です。阪急って人づくりも上手い企業のようです。
この900形や920形、自分が大学1回生の頃、今津線でまだ現役でした、こんなにキレイじゃなかったけど。西宮北口の、トントントントン、トントントントン、とダイヤモンドクロスを通過する音が聞こえてきそうです。
よく見ると900形の屋根はキャンバス張り、防水加工した帆布です。P-6の屋根は金属板のようです。
600形、900形、P-6の他、オールドタイマーがもう2両、P-4(デロ10形、大正14年製、上述の新京阪鉄道千里山線の車輌で、TVドラマ経世済民の男、小林一三に登場)と、なんと箕面有馬電気軌道開業時の1形1号(明治43年製、つまり阪急の最初の車両)も保存されているそうです(2010年の阪急ニュースリリース)。いずれもダブルルーフ木製車体の電車、見てみたい。
P-6+900形の手前の構内踏切を、洗車体験乗車に向かう親子連れが渡って行きます。子どもたちがP-6や900形の素晴らしさがわかるのは、もうちょっと先かな。