桑津街道~生野本通商店街

街道を行くといっても、自分ちからちゃりんこで10分くらいのところです。桑津街道とは、天王寺区細工谷から生野区を抜け、東住吉区の桑津神社に至る街道で、高津宮の仁徳天皇が妃髪長媛(かみながひめ)に会いに行くために度々通られたとされる道です。

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天王寺区細工谷、細工谷遺跡が見つかった場所で、ここが桑津街道の出発点、大阪環状線をくぐると生野区に入ります。

街道沿いの弥栄神社、もう栗が落ちてました。これだけ青いと拾ってもしょうがいないでしょうね。

「つるのはし」史跡です。「鶴橋」の由来ですが、それだけじゃなく、日本書紀に記録された文献に残る日本最古の橋だそうです。江戸時代になって「つるのはし」と呼ばれるようになったそうで、史跡内に江戸時代の絵図も掲げられています。ちなみにねこちゃんはホンモノです。

さらに南に進むと住宅密集地の中に御勝山古墳があります。前方後円墳の前方部分は大阪の陣で破壊され、道路と公園になっています。徳川が勝利したので以前は「岡山」と呼ばれていたのが「御勝山」に改名されたそうです。周辺の住所も勝山です。徳川幕府の教化政策だったわけですね。

とても素敵な「長屋」がありました。壁は何と黒いタイル貼りです。左端のお宅とその隣の間に欄間のようなものがついて、その上にはうだつまでついた潜り戸を抜け、奥にも同じように長屋があるようです。

長屋といっても、生活のゆとりを感じさせてくれる長屋です。

勝山通りを渡り桑津街道をさらに南へ進むと舎利尊勝寺があります。聖徳太子創建と伝えられるお寺です。

庫裏でしょうか、お寺の中の建物の取り壊し工事をやってました。なぜか覆いが外されていたのですが、何と3階建ての木造建築です。

そのすぐ隣は生野神社。隣にだんじり小屋のようなものがあります。生野もだんじりが盛んだそうです。

さらに南へ下ると、生野本通商店街の東端にやってきました。こんなアーケードのある商店街、東京ではすっかり少なくなってしまい、知ってる限りではジョイフル三ノ輪商店街くらいですが、大阪市内では、天神橋筋商店街、鶴見橋商店街、キララ九条商店街、空堀商店街、粉浜商店街、等々、まだ元気でがんばっているところが少なくないです。

角のタバコ屋は定位置です。

ただ残念ながら、シャターの降りたお店が少なくなく、営業している方が少ない感じですが、商店街としては元気な方だと思います。

おもちゃやさん、元気で営業中!かつて自分はこんなおもちゃやさんの敵役をやっていたので、こういうお店を見るとホッとします。

商店街の定番、おばあちゃん向けブティック。

それから水に浸かったお豆腐を売ってるお豆腐屋さん。写真を撮らせて下さいとお断りしたのですが、買わなくてごめんなさい。

商店街西端の入口あたりで見つけた定食屋さん「まるてん」でランチ、「サンデー定食」、ボリューム満点の鉄板焼きとさらにそーめんまでついて850円!超満足。

隣の席のおばあちゃん二人組も完食していたのにはビックリしました。

生野区というとコリアンタウンのイメージばかりが強いですが、他にも色んなところがありそうです。