織田作之助、夫婦善哉、わが町
織田作之助の名前は、自由軒のカレーでしか知らなかったのですが、青空文庫をダウンロードしてみたところ、すっかりハマってしまいました。
オダサクは東平野尋常高等小学校(現、生魂小学校)近くの仕出し屋の長男として、私の住まいのすぐ近くで生まれ育っています。大正2年の生まれ、もし長寿であれば今90代で存命でもおかしくないのですが、昭和22年、33歳の若さで亡くなっています。
作品には大阪へのこだわりが色濃く描かれ、黒門市場、生國魂神社、高津神社、下寺町、近所の馴染み深い地名もたくさん登場してきます。上町のオッサンならぬ、上町のニイちゃん、だったと思われます。
作中の会話はとても魅力的な大阪弁です。「構へん」「お待遠さん」「此間(こないだ)」と漢字になった大阪弁も多く、大阪弁に格調高さまで漂ってきます。
よく知られた「自由軒」のカレーや「夫婦善哉」のぜんざい、だけじゃなくて、今も残る店としては「正弁丹吾亭(当時は関東煮屋-かんとだき、おでん屋-だったらしい)」、うなぎの「出雲屋(いづも屋)」なども登場します。
「自由軒のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、まむしてあるよって、うまい」と吃音の柳吉のセリフは、自由軒のカレーを食べたいと思わせるに十分すぎます。オダサク自身が、食通、それもこだわりあるB級グルメだったのは間違いないとわかります。
オダサクの代表作として知られる「夫婦善哉」ですが、「わが町」に「夫婦善哉」のストーリーの大半が含まれています。どうやら「わが町」から「夫婦善哉」を抜粋して、磨き上げたものと思われます。
「夫婦善哉」は、商家の若旦那、落語でよく登場するような典型的バカ旦那の柳吉と、一銭天麩羅屋(オダサクの実家と同じ稼業)の娘で芸妓の蝶子との物語です。勘当されても、ちっとも反省もせず、蝶子の稼いで貯めたお金で、浮気と散財を繰り返す柳吉を蝶子は見捨てず、長い年月をかけて、ふたりの生活が確かなものになってくるというお噺です。ミヤコ蝶々・南都雄二の「夫婦善哉」という番組がありましたが、その意味がやっとわかりました。
一方「わが町」は河童路地(がたろじ)と呼ばれる七軒長屋に住む、俥夫(人力車夫)の他吉とその家族、そして同じ長屋の住民たちの物語です。河童路地は架空のものと思われますが、「源聖寺坂の上」、「谷町九丁目から坂を駆け降りて行く」、といった表現から、たぶん著者の生まれ育った、上汐四丁目あたりを想定したものと思われます。
時代の移り変わりにもかかわらず、頑固に俥を弾き続ける他吉と、彼に関わる人々の変化が、明治、大正、昭和の三部構成で描かれています。この他吉、宮本輝、流転の海シリーズの松阪熊吾を彷彿とさせる、頑固な人情家です。
他吉とその娘、婿、孫娘、孫娘婿との、さまざまなできごとがメインですが、独り者の売れない落語家〆団治、親の見栄で結婚出来ない4姉妹の理髪店、等個性的な人物がたくさん登場、単なる脇役ではなく、サイドストーリー的にそれぞれの物語が丁寧に描かれています。
「夫婦善哉」の蝶子も河童路地の一銭天麩羅屋の娘として登場します。つまり「わが町」のサイドストーリーが独立して名作となったのが「夫婦善哉」ということになります。
「帰りは夜更けて、赤電車で、日本橋一丁目で降り」とか「足は市電の停留所へ向いた。電車が大正橋を過ぎる頃、しとしと牡丹雪になった。境川で乗り換えて、市岡四丁目で降りた。そこから三丁の道はもう薄白かった。」など、大阪市電が全盛だった頃の描写など、鉄ちゃんとしても興味深いです。「赤電車」は今の終バスの行き先が赤く表示されていることからも終電車とわかります。
四ツ橋、電気科学館のプラネタリウムも登場、物語で重要なプロットになっています。自分も小さい頃、連れて行ってもらったことをかなり鮮明に思い出しました。平成元年まで残っていたようです。
そんな大阪の町の描写も印象深いのですが、それ以上に、人と人の関わりが、今とは全然違うことに驚かされます。
親の見栄や思い込みで、とうとう誰も結婚できなかった四姉妹、義父の夢を叶えるためにフィリピンに移住し、命をなくしてしまう婿、祖父の意地のために新婚生活の破綻を余儀なくされる孫娘、男の放蕩を飲み込んで何度も何度も許してしまう女、個人より人と人の繋がりが圧倒的に優先されています。
今とどちらが幸せなのか、一概に言えるものではありませんが、大切なものに触れた思いが残ります。
30歳前後の著者が、よくぞここまで、人情の機微とそれが育んだ大阪の文化を描けたものと、感心するばかりです。