自分の中に毒を持て

岡本太郎生誕100年だそうで、大きな本屋さんに行くと、コーナーが設置されています。タイトルに惹かれ手にとったところ、素晴らしい一冊との出会いとなりました。

先頃飲み屋で、レオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵する日本人は千利休ではないか、と話し合ったことがあるのですが、岡本太郎も比肩されるべきと知りました。

200ページほどの一冊ですが、強烈なメッセージがぎっしり詰まっています。

人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。

己を殺せ…人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。その時、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また敵なのである。…システムの中で、安全に生活することばかり考え、危険に体当たりして生きがいを貫こうとすることは稀である。自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。

”いずれ”なんていうヤツに限って、現在の自分に責任をもっていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。…”いずれ”なんていうヤツに、ほんとうの将来はありっこないし、懐古趣味も無責任だ。

ぼくは”幸福反対論者”だ。幸福というのは、自分に辛いことや心配もなくて、ぬくぬくと安全な状態をいうんだ。…ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉が大嫌いだ。ぼくはその代わりに”歓喜”という言葉を使う。

確かに、幸福というのは相対的なものだと気づかされます。誰かの幸福に対して誰かがその分不幸になっている、野生の世界の食物連鎖のような関係を生じます。自分自身の中でもその時点で幸福であってもその幸福が明日も続くかという不安が常につきまといます。

白雪姫やシンデレラが王子様とめでたく結ばれても、ひとめぼれだけで結婚しちゃって早々に離婚してしまったかもしれない、とか考えてしまいます。それに白雪姫やシンデレラが幸福になった分、少なくとも魔法使いのおばあさんや、シンデレラのお姉さんたちは不幸になっています。

結果としての成功で得る相対的な幸福ではなく、結果がどうであれ、やるだけのことはやって得られる歓喜(=絶対的な幸福と言い換えられるかも知れません)が生を得たものが目指すべき、という考え方は大切にしたいと思います。

最後の章では、

芸術、政治、経済…三つの原理のオートノミーを確立すべきである。

と提言されています。ここで、芸術=人間と明記されていますが、さらに、政治=人間関係あるいは社会、経済=人間関係や社会を運営するシステム、といった理解ができるかと思います。

そして、

無条件で生きる人間、最も人間的に純粋に燃焼する、つまり芸術家が、政治、経済と相対し、抵抗する権威、力をとりもどすべきである。

つまりは現代社会におけるルネッサンスを訴えています。まるでダビンチです。

本書では、岡本の考えばかりが綴られているのではなく、その考えに至った経緯、小学校を何度も転校し、やっとたどりついた寄宿舎でいじめられる毎日、戦前のパリでの暮らし、学び、出会い、そこにはエルンスト、カンディンスキー、モンドリアンといった錚錚たる面々が、そして開戦直前に帰国、一兵卒として出征し死と直面、戦後のアヴァンギャルド芸術の旗手としての活動、そして太陽の塔の制作、といった自分史が織り込まれています。

それ故、

その死は敗北だったかもしれないが、ゴッホは誇りを持ってその敗北を迎えた…行きづまりに追われたら逃げないで、むしろ自分自身を行きづまりに突っ込んでいく。強烈に行きづまった自分に闘いを挑んでいくことだ。行きづまりをこえ、うれしく展開されていくんだ。

というフレーズは真に迫ります。

みんなにぜひとも読んでもらいた一冊です。