適塾

桜ノ宮、天満からの帰り道、北浜の方を遠回りしたところ、思わず適塾の前にたどり着きました。

福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内ら維新と文明開化の主人公たち、陽だまりの樹の主人公、手塚良庵らを世に送り出した蘭学塾ですが、高杉晋作や桂小五郎、伊藤博文を送り出した長州の松下村塾よりいささか目立たない感じがします。

吉田松陰の派手な行動と較べて、温厚な緒方洪庵という差の故かも知れませんが、日本史における果たした役割からすると太閤秀吉より緒方洪庵の方が大きいのではないか、とも感じます。

Image of 花神〈上〉 (新潮文庫)

酔って候で花神の名前がでてきたり、今日も上町筋の大村益次郎殉難の碑の前を通り気になっていたところ、適塾にたどりつき、まるで司馬先生が花神をもう一度読みなさい、と言ってくれているように感じ、本屋さんに直行してきました。

適塾の建物は公開されておらず、よく歴史的建造物の前に建てられている能書きとかもないのですが、当時の建物が150年前の姿をそのままに伝えてくれています。

「蔵六は、塾のものとはあまりつきあいをしない。彼は物干し台が好きであった。」と描かれている物干し台が写真のものようで、よくぞ残されていると感心します。

まだ最初の一章を読んだだけですが、適塾の合理主義と、人としての理想を目指すすがた、それを育んだのが、封建のせせこましさの少ない大坂の町であったことが描かれています。

上、中、下の三巻、久しぶりに大きな読書の楽しみを得ました。