春場所中止

春場所中止へ、だそうです。子供の頃、弟とよく相撲を取りました。土俵はウチで一番広い八畳の座敷の真ん中の仏壇の前の畳二畳の四角い土俵、新聞の取り組み表を参考に、下っ端から上の方まで十番程度、好きな力士の取組表をつくって、自分は東方、弟は西方といった感じで対戦します。

自分は弟より3歳年上なので、当然力関係は基本的に自分が上です。自分の好きな力士(例えば二子岳)の対戦では当然負けないのですが、全部勝ってしまうと、弟にとっては面白いはずがなく、この相撲ごっこは成り立たなくなってしまいます。

なので弟が弟の好きな力士で取るときには、「手加減」あるいは「負けて」やることでこの相撲ごっこは成り立つことになります。

決まり手もかっこ良く、テレビのように決めたい、例えば自分が明武谷の時には、うっちゃりで決めたい、なので、ぎりぎりまで弟に攻めさせることになります。

これって、八百長の問題と直接関係ないかもかも知れませんが、勝ち負けが角力取りの生活に直結(それもかなり極端な形で)している相撲の世界で、勝ち負けの売り買いがあって不思議はない、というかあって当然という認識は世間共通のものだと思います。

メールで八百長のやりとりをしていた、という常識のなさ、危機感のなさ、イマの社会のあり方についての知識のなさ、というアホさ加減には呆れるばかりですが、もし、それが関わった十両の力士だけの問題であるならが、ビジネスの規模からして春場所中止などという結論になるはずがありません。

関与した力士だけじゃなくて角界全体の体質の問題という認識が相撲協会にあることは間違いありません。

そういう八百長っていうか、全力ではない勝ち負けの決め方は、相撲よりプロレス(今やメジャーな存在ではないとようですが)の方がもっと当たり前だったと思うし、タイのキックボクシングとか、メキシコのルチャ・リブレにも、モンゴル相撲にも、あるいはボクシング全般やK1、格闘技だけでなく球技にも、他のプロスポーツにもあると思われ、日本に限らず、かなり判断の難しい微妙な問題だと思います。

年1回の大阪場所、立ち見でも行ってみようかなと思っていたこともあり、春場所中止という決定は、かなり残念なものですが、特にホンネとタテマエの違いが大きい日本の社会に課題を投げかけたという意味ですごい決定だと思います。

放駒理事長、魁傑の時からなんですが、結構好きなんですよね。北の湖や出羽海だったら、とてもこれだけの迅速な決断ができたとは思えず、拍手を贈りたいと思います。

相撲は間違いなく日本が世界に誇るべき文化です。取り組みの殆どは「ガチンコ」だと思います。でなければ白鵬や琴欧洲や把瑠都が日本にやってきて、これだけの活躍するなんてことはありえません。放駒理事長には、うまいオトシドコロを見つけて、新しい相撲の世界を構築して行ってほしい、と期待しています。

刑事訴追の対象にならないのがわかっていながら情報を公開した警視庁も評価できます。日本の社会のあり方を問う問題だと思います。

そういえば六代目松鶴の得意ネタに「相撲場風景」がありましたね。あの雰囲気で相撲が楽しめればオッケーなんですよね。