山の辺の道の北端

母の日です。祥月命日を兼ねてお墓参り。学研北生駒駅が最寄りのお寺ですが、生駒での奈良線からけいはんな線への乗り換えがえらく不便だったことを思い出し、チェックするとやはり快速急行からけいはんな線への接続は最悪、学園前からバスで向かうことにします。駅前で売られていたカーネーションを買ってバスに乗り込みました。

学園前駅から3つ目のバス停脇に母が入院していた病院が見え、悲しみが蘇る道をそのままバスに15分ほど乗ってお寺の裏山を抜けるとお墓です。

お墓の花立てにはまだ新しい花、どうやら義弟たちがお参りに来て間がなさそうです。持参のカーネーションを追加、義弟たちのカーネーションと自分のカーネーションがわからなくなりましたが、カスミソウは自分です。

墓地から坂道を下りると国宝の本堂です。お寺の表側にも富雄駅行のバス停があるものの1時間に1本と分かり、裏山を上って元のバス停から帰ります。学園前駅周辺の道路は狭くいつも渋滞、富雄と較べて駅周辺に気の利いたお店も少なく、楽しくない学園前です。真っ直ぐ帰るのはもったいないので奈良公園を散歩することにします。

新薬師寺

大賑わいの東向と餅飯殿の商店街を抜け、猿沢の池南側のお店でランチ、お店の前からの五重塔の眺めです。行ったことのない新薬師寺へ行ってみることにしました。

2kmほど緩い上り坂を歩き進むと土壁だったり洋館だったりの趣のある住宅地に入りました。塀にカナヘビ。

国宝新薬師寺本堂です。薬師寺のような巨刹をイメージしていたのですが、こじんまりしたお寺です。新薬師寺のホームページによると、動物植物ことごとく栄える世の中をめざすも病に倒れた聖武天皇の平癒のため光明皇后が造営された寺院だそうです。「動物植物ことごとく栄える世の中」の一文に共感した次第。

本堂内は真ん中に円壇が置かれ、円壇の円周に沿って本尊の国宝薬師如来像が安置され、向かってご住職がお経を読んでいました。そして薬師如来像から円周の両側に、さまざまなド迫力アクションポーズの十二神将像が円陣を組んでいました。奈良時代の等身大塑像で国宝。

隣の竹藪からウグイスのさえずりがずっと鳴り響いていたものの見つけられず。春なのに一部が紅葉している青モミジ。

新薬師寺の南側に出ると空間や田んぼが広がりました。今時分にコスモス? と思いきやムギナデシコとわかりました。

道端に山の辺の道の道標が立っています。この辺りが山の辺の道(北ルート)の北端のようです。山の辺の道(南ルート)は何度も歩いたものの、天理から北は未踏です。道標にある白毫寺まで行ってみます。

一気に町並みが鄙びてきました。火の見櫓と消防団のポンプ格納庫。

「国鉄指定 嫁入道具専門店」の看板、かすれた赤い字は「日吉家具デパート」と読み取れます。調べてみると三条添川町バス停前から、平城宮跡南側の二条通の自社ビルに移転しているようです。

振り返ると見たことのない角度の若草山。

白毫寺

白毫寺の麓に着きました。ながめのよい花のてらだそうです。クランクの先にまだ石段が続きます。

山門をくぐりさらに石段を上りきったところで振り返ると息を呑みました。あまりにビックリして写真を撮り忘れ、下りる前に撮った1枚です。

本堂裏の御影堂と宝蔵です。ベンチに腰を下ろしてゆっくり景色を堪能、生駒から大和葛城山の眺めです。

興福寺の五重塔と南円堂、その間に近鉄奈良駅が見えます。あそこまで歩くのか、と思うとちょっと憂鬱になります。

壁の梁にイソヒヨドリ♀。シャクナゲが一輪だけ。

江戸時代初期に建てられた本堂の裏、土台や礎石がむき出しです。庭木戸に透かし彫り、左は鳥ですが、右は何かわかりません。

樹齢推定500年の「白毫寺」と名付けられた大椿と奈良県指定天然記念物の五色椿、ツバキの季節ではないものの枝ぶりも見事です。

シャガも一輪だけ。こちらも見事な枝ぶりの大モミジ、四季を通じていろんな表情を見せてくれそうなお寺です。こんど来る時はレンタサイクルにします。

剥がれた土壁のホーローの町名看板、スポンサーは仁丹。ググっているとホーロー町名看板マニアさんがかなり多くいるようです。ちなみに現町名は白毫寺町で高円山全体をカバーしています。

石垣の間に咲くマツバギクはこの時期の里山歩きの楽しみのひとつ。

高円山です。白毫寺は木々に囲まれて見えません。頂上付近の芝生が広がったところは奈良大文字送り火の火床です。

新薬師寺を通り過ぎ、中の禰宜道を歩きます。奈良公園の中ですが、人っ子一人歩いていません。鹿もいません。

ずいぶん重くなった足を引きずりながらようやっと飛火野まで戻ってくると、鹿たちが駆け集まって大集合していました。ここから駅までまだ1km以上あります。ちょっと散歩のつもりだったのに。