月は上りぬ

アマゾンプライムで映画を見る機会がぐんと増えました。

月は上りぬ、監督 田中絹代、脚本 斎藤良輔、小津安二郎共同執筆による昭和29年制作の日活映画、戦時中に東京から奈良に疎開、そのまま奈良で暮らし続けている浅井家の三姉妹と父親の物語です。しっかり者の長女千鶴(=山根寿子)、おっとりした次女綾子(=杉葉子)、おきゃんな三女節子(=北原三枝)、それに父親茂吉は笠智衆、まだ随分若いものの、既に寅さんの御前様の貫禄です。

長女千鶴の亡夫の弟で近くの寺に下宿している失業中の安井(=安井昌二)と三女節子は家族も認める関係、そこへ安井の友人で電波技師の雨宮(=三島耕)がやって来ます。節子と安井は、綾子と雨宮をくっつけようと色々算段するというお話で、ハラハラドキドキすることは殆どなく、しっとりと物語が進行して行くのですがなぜか惹かれました。興福寺五重塔、東大寺大仏殿、二月堂、二月堂裏参道の石段の道、鹿たち、馴染みある奈良の風景がモノクロでも、いやモノクロならではの美しさです。

二月堂の写真と、興福寺五重塔と鹿たちの写真を映画ぽくモノクロにしてみました。

冒頭に登場する安井が下宿しているお寺は東大寺の塔頭、龍松院と分かりました。東大寺境内の北東端の行ったことのないエリアです。今度奈良公園へ行った時にはぜひ外からだけでもチェックしてみたいと思います。

浅井三姉妹が暮らす家は高畑町辺りかと思ったのですが違います。縁側で月見するシーンの奥にある背の高い横向きの屋根をヒントに、Google Mapを3Dにして散々チェックしたあげく、東大寺南大門を横から見たところで間違いなさそうと分かりました。ということは吉城園や依水園のある水門町周辺ということになります。今も古風な豪邸が並んでいます。

どこかの大企業の相談役らしき茂吉は今も週に1、2回大阪へ通うとのことなので、近鉄奈良駅が地下になる前の油阪を上る近鉄電車がでてこないか期待していたのですが登場せず。その代わりに大阪城天守閣をバックに川を渡るツートンカラーの2~3両編成の電車が二度登場します。浅井家知人の大学の先生、高須(=佐野周二)の下宿先の大阪の風景です。大阪環状線(当時は城東線)の第二寝屋川鉄橋っぽいのですが国電がツートンカラーなわけがなく、天守閣の角度から京阪電車の寝屋川鉄橋と分かりました。

第二寝屋川を渡る大阪環状線、201系電車はともかくも、タワマンが立ち並ぶので、モノクロに変換しても昭和っぽく見えないですね。

もう1枚は映画とほぼ同じ角度から京阪寝屋川鉄橋、10年以上前にオフクロとアクアライナーに乗船した時の写真、天守閣は画面の左外です。先頃、旧日経大阪本社ビルが解体されたので、今はかなり景色が変わっているはず。

奈良の物語なのに登場人物は皆標準語で最初違和感があったのですが、東京から疎開してきた一家の物語だからです。その標準語がとても上品で美しい。家族間でも、お父さま、おっきいお姉さま、電話でも、どうもご心配に預かりまして、といった調子です。おそらく当時の上流階級はこういう言葉遣いだったんでしょうね。逆に今と違って若い男性が彼女に対し、おまえ呼ばわりしていて、今なら一発退場かと。年上から年下、男性から女性へ「そうかい」という相槌がよくでてきます。今なら生返事っぽいのですが、しっかり聴いていると通じるのが不思議です。

二人の女中さんだけが関西弁です。そのひとり、米や(=田中絹代監督自身)が綾子のフリをして雨宮に電話をかけかけさせられるのですが、「あやこ」の関西弁イントネーションを節子が矯正するシーンで言葉の違和感は完全にふっとびました。

綾子のフリをした米やからの電話を真に受けて雨宮が二月堂にやってきました。その様子を伺う節子が隠れていたのが二月堂石段脇にある法華堂北門です。

飛火野もモノクロで。「月は上りぬ」の月は飛火野の東、三笠山に上ります。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

遣唐使の阿倍仲麻呂の望郷の念を歌ったこの百人一首でも一番有名な歌が作品のモチーフになっているようです。三笠山とはてっきり若草山のことだと思いこんでいたのですが、若草山に続く春日大社の奥にある山と分かりました。くっきりそれと分かる写真が見つからなかったのですがこの飛火野の写真の木陰の向こうの山かと。

この歌だけじゃなくて、万葉集もこの作品のプロットになっていて、奈良の魅力を存分に伝える映画になっています。


実は、三姉妹の次女綾子が母に似ているのがこの作品に惹かれた大きな理由です。杉葉子さんほどの美人ではありませんが、顔のつくりもそこはかとなく母に似ています。綾子の着物姿がモノクロなのに、母がお茶会でよく着ていた淡い茜色に見えます。部屋の隅に置かれたミシンを踏む綾子の後ろ姿は、子供の頃、毎日見た光景そのものでした。

母も三姉妹(浅井家と違って他に男兄弟二人)の次女で、しっかり者の長女、おきゃんな三女という構成も全く同じです。さらに妹がせっちゃんということまで一致しています。

三女節子の北原三枝さんのスタイルがすごいです。ウエストの細さはオードリー・ヘップバーン以上かも。のち北原まき子に改名、石原裕次郎夫人となり、今も石原プロ会長です。演技はさほど上手くないと感じるものの、わざとらしい仕草のひとつひとつがとてもチャーミングです。

山根寿子さんの長女千鶴もしっかり者ということでは伯母と同じですが、伯母は千鶴のようなしっとりした感じではなく、ゴッドマザー的なもっと存在感のある、三姉妹ではもっとも大阪のおばちゃん的な人だったことがちょっと違います。

せっちゃんの計らいで綾子が雨宮と絆を深めることになる場所は奈良公園の池の畔、でも鷺池でも大仏池でもありません。飛火野の一角にある水たまりのような小さな池、雪消澤(ゆげのさわ)です。雨宮の風貌にもうっすらと自分の記憶に残る早逝した父の面影を感じます。雨宮と同じくエンジニアでした。自分の誕生前夜を見た思いがしました。今日はオフクロの7回目の命日です。