わらべ地蔵とオニヤンマ

京都の町中より3℃くらい涼しい、と聞いて大原にやってきました。なるほど、体感できるくらいの温度差があります。

三千院への参道からちょっと脇道を逸れると、大原の里の棚田が広がっています。バス停から10分強で三千院、自分同様多少の涼を求めてか参拝者は少なくありません。

境内の中央にある往生極楽院です。三千院はもともと最澄が比叡山に建立、その後移転を繰り返し、この大原に移ってきたのは明治4年だそうですが、この往生極楽院は平安時代からここにあるそうです。

実はこれが見たくてやってきた、三千院のわらべ地蔵です。

苔の中に溶け込んでいて、何百年もここにあるようですが、パンフレットにもホームページにも由来が書かれていません。さんざんググってみて杉村孝さんという現代作家の作品で、ここに設置されたのはどうやら平成になってからとわかってきました。新しくてもありがたい、不思議なお地蔵さんです。

お庭の東屋の温度計、京都の町中より5℃くらい涼しいです。

8月になったというのにまだ紫陽花。花に止まっているのはヨツスジハナカミキリ、右側の2匹はお取り込み中です。

三千院からバス停の反対側へ15分くらい歩くと寂光院、三千院よりちょっと遠いだけですが参拝者はぐっと少ないです。ここは歴代の尼寺で、境内で仕事をしている人たちも受付のおじさん以外女性ばかりです。ご本尊はなぜか新しいっぽい極彩色の地蔵菩薩。

三千院ほど広くはない境内の奥にある建礼門院徳子御庵室跡、庵はなく石碑が建っているだけです。平清盛娘、安徳天皇母、壇ノ浦の戦いで入水するも助けられ、寂光院3代目の住職として晩年を過ごしたそうです。

この庵跡近くでオニヤンマ。普段オニヤンマは上空を飛び続けていて、なかなか止まってくれないのですが、この子は何度も止まってじっくり写真を撮らせてくれました。さしずめ建礼門院の衛視といったところです。

境内の宝物殿に入ってみると、新聞1面が大きなパネルになって展示されていました。平成12年5月9日放火で寂光院本堂は消失、重要文化財の地蔵菩薩も大きく損傷したというショッキングな記事です。今のご本尊が極彩色になっている理由がわかりました。ご本尊は火災から半年後に鎌倉時代のままに復元されたものの、本堂が復元されたのは平成17年、放火犯は捕まらず時効になり、大きく焼損した前のご本尊は可能な限り補修され保存されているそうです。ググっていたら、なまなましい新聞記事がみつかりました。

新聞記事にコメントのある当時の小松智光住職のことが気になりました。火災の時すでに90歳、本堂再建の完成を見ること無く93歳で亡くなられています。24歳で得度、35歳から60年近く寂光院住職を務め、女性として初の天台宗大僧正だったそうです。著書も少なくなかったようで、図書館で借りてきて読んでみたいと思います。


大原から京都駅行のバスを八瀬駅前で下車、鞍馬へ向かうことにします。

八瀬遊園から宝ヶ池へ出て、鞍馬行に乗り換え、ここまで下りてくるとやはり35℃は超えているようです。暑い~。

叡電は市原駅を過ぎ、秋にはライトアップされる「もみじのトンネル」区間を例によってかぶりつきで見ていたら、いい感じの鉄橋を渡りました。下には道路があり、駅からも遠くなさそうなので、次の二ノ瀬駅で下車します。

二ノ瀬駅でオレンジ色の900系きららと交換。他に下車した人は無し。

駅から集落へは急な階段を下りていきます。階段脇の草むらのヤマトシジミ。

初めて下りる駅ですが、なんか見たことがあるような光景。南海高野線紀伊細川駅ととても良く似ています。

駅から橋のところまで5分ほど、電車全体がよく見えるデッキガーダー橋です。鞍馬行の900系きららのオレンジと出町柳行800系。この800系、神戸電鉄の5000系とよく似た典型的平成初期のデザイン。

鞍馬行800系と出町柳行900系きららの赤、この800系815編成は「こもれび号」というそうですが、車体に描かれたいのししがインパクトあり「いのしし号」でいいのでは。

木立に囲まれて2両編成でも全体が撮りにくいですが、紅葉はもちろん、年に数回は雪も積もるようだし、季節により色んな写真が楽しめそうです。

二ノ瀬駅ホームから遠望した鞍馬から戻ってくる815編成、鉄橋に限らず撮影ポイントが多そうです。

鞍馬にやってきたのは2年ぶり。前回は母と一緒でした。母と一緒の最後のお出かけになりました。その時と同じく、近鉄京都駅下のハマムラで中華食べて帰ることにします。