神去なあなあ日常

 

羽田-関空線に乗ると紀伊半島を横切って行きます。紀伊半島の空からの眺めは圧巻、濃く深い緑の山々の美しさはグローバルにも比類のないものだと思います。房総半島のようにゴルフ場でボコボコにされることもなく、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の神秘さが上空からも感じられます。

物語は神去(かむさり)村という架空の村の物語ですが、松坂からローカル線(明らかに名松線)で終点まで行き、そこから軽トラで1時間ほど揺られて、とかなり具体的で、三重県南部の山の中、つまり上述の美しい紀伊山地の一角でのものとわかります。

自分の子供の頃、毎年夏休みは奈良出身の祖父に連れられて大峰登山が恒例になっていました。今も女人禁制を固くなに固持する修行の山で、山上には「西の覗き」と呼ばれる修行の場があって、一般の登山者も巨大な岩壁の上から、肩にロープをかけられて、足首くらいまで身を投げ出され、「親孝行するか」「勉強するか」「浮気せぇへんか」とか誓約させられます。もちろん「親孝行します、しますぅ!」としか答えようがありません。

一般の登山者のだけでなく、山伏の装束を着た修験者も多く見られ、その神秘さは自分にとって今も強烈な思い出になっています。

この「神去なあなあ日常」はそんな神秘さと、山に生きる人たちの山への思いや人と自然の関わりが、ふんだんに盛り込まれた一冊です。

高校を卒業して就職のアテもない主人公は親や担任がテキトーに探してきた林業の研修生として、この村に押し込まれてしまいます。最初は逃げ出すことばかり考える主人公が、林業に次第に惹かれ、村人たちに受け入れられていく、というストーリーです。

落ちこぼれのティーンエージャーにこんな知識があるはずがない、こんな言葉つかうはずがない、これじゃ作者の言葉だろう、という部分が結構気になります。

しかし、それ以外は、自分がそこを歩いていて、木の香りが漂ってくるようなヴィジュアルな山や森の描写、極めて個性的な、その個性が凝縮したような登場人物、小さな出来事から大きな出来事への物語の展開、さすが直木賞受賞作家です。

林業=環境保護、とかそんな一面的なものではなく、林業の厳しさ、林業の価値、自然の恐怖、神聖さ、豊かさ、自然への崇敬、山村の人の知恵や村社会の人つながり、などがびっしり詰まっています。文句なく楽しめる一冊です。

神去なあなあ日常