空腹抱えて大徳寺散歩

司馬遼太郎の「街道をゆく」でまだ読んでいないのを探して34大徳寺散歩。既読の「街道をゆく」と較べて説明的、ガイドブック的な印象で、いつもの旅の相棒、須田剋太画伯も同行していません。自分的にはいささか物足りない司馬作品でした。それでも大徳寺にゆかりの深い人物として一休宗純、千利休、細川幽斎、沢庵宗彭らが過不足なく語られていて「へぇ」の繰り返し、知識欲は満足させてくれます。

もし日本史に室町時代をもたなかったなら、私どもの文化はごくつまらないものになっていたろう。

その室町時代を今に伝える大徳寺、そこへ行けばどんな室町時代を体験できるのか、また利休が自身の木像をその楼上に安置したことで秀吉の勘気に触れ切腹させられた三門が大徳寺に現存しているとは全く知らなかったことで、がぜん訪ねてみたくなりました。

上立売通

出町柳から市バス1系統で大徳寺前へ向かうつもりだったのですが、お昼を食べてないのでとりあえず出町柳のアーケードへ。今日の「出町ふたば」の豆大福を求める行列はハンパないです。

出町柳商店街ではなく出町桝形商店街ですと訴える黒板の後ろに、おじいさんのママチャリのカゴにのった犬の顔ハメ看板が立て掛けられていました。「出町ファンタ爺倶楽部」とありますが詳細は不明。

アーケードを抜け寺町通を上がったところにマツモト模型、鉄道模型趣味誌(TMS)を愛読していた頃、毎号巻末のモノクロページに広告が掲載されていた超老舗の鉄道模型専門店です。店頭のショウケースにはHOやOゲージの金属模型、未塗装のOゲージタンク機は旧奈良鉄道2800形、明治時代に現在のJR奈良線や桜井線を走っていたスイス製機関車です。早逝した父が手先の器用な鉄ちゃんで、遺されたスクラッチビルドのHOスケールC型タンク機がこんな感じだったのを思い出しました。

主力商品は明治、大正、昭和前期の馴染みのないHOゲージで、自分が鉄道模型にハマっていた時もマツモト模型を訪ねたことなかったのですが、当時よく通った曽根崎の旭屋書店内にあったマッハ模型を思い出しました。惜しくも昨年閉店されたのですが、アイソのよくない店主兄弟(確かお兄さんは比較的アイソが良かった)はどうされているのか。武蔵小杉にあった(ある?)共立工芸もアイソ良くなかったものの入りにくいドアを開けて階段を上がると遠慮なく膨大な車輌やストラクチャーの在庫品をじっくり見せてもらえるのでかなり通いました。マツモト模型さんはお店に入っていないのでわかりませんが、自分的には鉄道模型店で店主がアイソよかったら落ち着かないです。一方、あまりご縁はなかったものの、タミヤなどのプラモ店は子どもたちがたくさん集まることもあって、店主の奥さんとかはアイソいいのがデフォルトだったかと。

趣のある京町家とおしゃれな三階建が並んでいるところから西へ。広いのにクルマも人通りも少ない通りは上立売(かみだちうり)通です。

しばらく進むと上立売通は途切れ相国寺の境内になり、右手に相国寺の鐘楼。

重要文化財の相国寺法堂(しょうこくじはっとう)、でかいです。足利義満創建で臨済宗相国寺派の大本山。街道をゆく大徳寺散歩で、建仁寺、南禅寺、東福寺、天龍寺、妙心寺、大徳寺、と臨済宗の大本山がざっくり紹介されているのですが、なぜか臨済宗の寺格を表す京都五山第二位の相国寺が抜けています。

銀閣寺に似た建物は経蔵。金閣寺、銀閣寺は相国寺の山外塔頭です。今日なども金閣銀閣は大変な賑わいのはずですが、本山の相国寺はひっそり。

相国寺をそのまま突き抜けると同志社の裏側にでてきました。烏丸通に面したレンガ造り風のビルは同志社寒梅館、大ホールの他カフェやフレンチレストランがあり、同志社の学生や教職員でなくても入れるそうです。

その隣のラーメンやさんに惹かれたものの、学生街だから他にもいいお店があるかも、とさらに上立売通を進みます。

烏丸通より西側は今出川キャンパスではなく室町キャンパスと呼ばれるそうです。レンガ造りは実際にレンガが積み上げられているようです。自分の母校もスパニッシュスタイルの美しいキャンパスで知られているのですが、もう40年以上ごぶさた、機会を見て訪ねてみたくなりました。上立売通には学生街らしきお店も点在しているものの、まだ授業が始まっていないせいか、ほとんど閉まってました。室町時代に、ここ上立売室町付近に店を構えず商売していた人が多くいたことが立売の語源だそうです。ちなみに下立売通はここからずっと南、丸太町通の一本北、中立売通は今出川通と丸太町通の中間くらいにあります。

さらに上立売通を10分ほど歩くと京都らしからぬえらく広い堀川通に出てきました。整備された広い通りもひっそりでお店も僅かな堀川通を北へ。いまいちどういうシステムかわからないホルモン焼とからあげの店らしきに少し惹かれたものの、マップ検索で行ってみたいマーカーを付けていた喫茶店へもう少し歩きました。目的の昭和なまんまの喫茶店に着席したものの、古くて広いお店はほぼ満席、フロアはおにいさんひとりで回していて、料理を注文するとお時間かかりますがいいですかと、少し待ってもいいかと思ったものの、店頭に貼ってあった喫煙マークは店頭の喫煙所だけを意味するものと分かり、ごめんキャンセル、とお店を出て北大路通を西へ。

食べそこねたこともあって一気にお腹がへってきました。孤独のグルメで、五郎さんが3段階に小さくなって店を探す場面のBGMが聞こえてきます。五郎さんは毎回苦労してもバッチリなお店を見つけるのですが、今日の自分は全然見つけられません。北大路通のお店は、まだお正月休みだったり、良さげなお店のドアを開けてみると自分の苦手な靴を脱いで上がる店だったり。もう目的地の大徳寺が間近になってセブンイレブンを見つけ、よほどおにぎりで済ませるかと思ったものの、いや待てよもう少し探してみようと歩くと精進料理のお店、精進料理としてはリーズナブルなものの、今の自分の空腹を精進料理で埋められるとは思えずパス。大徳寺総門門前のカフェが良さげでどうしようか逡巡しているウチに1組2組と入店、たぶんもう満席ぽいです。

大徳寺

飽きらめて空腹のまま大徳寺に入ることにしました。総門を入るとすぐ右手に三門(山門)、金毛閣と扁額が掛けられています。

この楼上に千利休の木像が安置されたことにより秀吉の勘気を受け利休は切腹することになった門です。金毛とはライオンを意味するようです。この朱塗り派手派手の豪壮な名前の付けられた巨大な楼門を建てたのが利休自身で、司馬先生も

この門をみれば、利休についての印象までが混乱させられる。

と述べています。華美をにくんでいたはずの利休が建てたものとはとても思えない楼門です。「日本の美の珠玉の淵叢」で「いぶし銀のように侘びた」大徳寺の建築や庭園に対して、利休が意外性の面白さを狙ったものなのか、あるいは単に利休の油断や自己顕示欲なのか、司馬先生は一旦、事のなりゆきでこの金毛閣ができてしまったというとりあえずの見方をとるものの、晩年の秀吉の自己肥大がはなはだしく一個の愚者になったと同様に、利休も自己肥大してしまったのではないか、と述べられています。利休好きであっても歴史家としての司馬先生の矜持を感じます。

このまま大徳寺の塔頭を見て回るにはやはり空腹がつらくなってきました。腹がへったままだとイライラして見るべきものも落ち着いて見られなくなりそうなので、総門を出てとりあえずセブンイレブンまで戻ってみることにしました。

セブンに戻るまでもなく、さっきの門前のカフェとは別に町家を改造したパスタの店を発見、もうあまり考えずに入ってみました。アンチョビとイカのトマトソースパスタ、かぼちゃのポタージュとサラダ、バゲットが2切れのセットです。美味しいのですが足りません。せめてバゲットが食べ放題だと良かったのですが。

いちおうお腹は落ち着きました。大徳寺総門へ戻る道に北海道ナンバーのスーパーカブ、ちょっと距離計を覗いてみると、おそらく北海道から走ってきたものと思われます。スーパーカブを眺めながら道端で一服していると、視覚障害の若い女性がやってきて迷っている様子です。どこへ行きはるんですか、と声をかけると、アトリエナントカ、表に赤いバケツがあるはずです。まさにスーパーカブの後ろに赤いバケツが置かれていて、建物に案内すると、あとから女性のお仲間らしきがやってきて、こっちこっちと隣のビルへ。隣のビルの前にも反対の住宅の前にも赤いバケツが置かれているのに気づかず、大変失礼しました。

もういちど三門、重要文化財で歴史上の大きな出来事があった場所なのに、本坊や塔頭に掲げられているような由緒書は見当たりません。大徳寺さん自身コンプレックスのある建物なのかも知れません。

もし利休が自己肥大せずこの門が侘び寂びた小さい門のままで、楼上に自身の木像を安置することなどなかったとしたら、という「歴史のもしも」が頭をめぐりました。利休がもう10年長命していたら、秀吉なきあと、家康につき、光成を説き伏せ、関ヶ原はなかったかも知れません。

広い境内に20以上も塔頭が立ち並んでいるもののほとんどは「拝観謝絶」、ここ三玄院は石田三成や古田織部の菩提寺で、総門に立て掛けられていた看板によると特別公開があるものの1月16日からで今日はNG。

その北側に宗務本部と掲げられた本坊、数々の国宝があるそうですが「拝観できません」。

本坊北側にある通常公開されている僅かな塔頭のひとつの大仙院です。ヤマボウシのつぼみが膨らんでいました。花が咲いたヤマボウシよりもその名を表しているようなつぼみです。

脱ぎにくい靴を脱いでせっかくなのでお抹茶がセットの拝観料を払いかけると、中は撮影禁止なのですが構いませんかと。お庭もですか、お庭もです、スミマセン遠慮させていただきます、と千円札を引っ込めてしまいました。今日はこういう場面が多いです。どの塔頭さんも同じですかと尋ねると、塔頭さんそれぞれにお考えがあるので、とのことでした。

大徳寺境内の一番北側、特別公開されている芳春院です。チケットブースが設置されていて、門の中は撮影禁止ですと聞こえ、ここも退散。

聚光院特別公開の看板、予約制でなんと2,000円、「ご拝観の皆様へのお願い」の看板には「境内は撮影禁止です」。終日晴れの予報だったのに雨がチラチラ降り出してきました。

三門の南側にある瑞峯院、キリシタン大名の大友宗麟の菩提寺です。ここは撮影はご自由にどうぞ、ということで上がらせてもらいました。方丈南庭の「独坐庭」です。漸く辿り着いた枯山水のお庭、方丈の縁側に腰を下ろすと「さわがしく忙しい日々の生活、ひとときを静かに坐ってこの蓬莱山のほうに雄大な泰然とした心境を体得したい!!」とあるのに、消防車のウーーーカンカンカンという騒がしい音が響いてきました。消防車が去るのを待ってみたもののいつまでも響いてきます。

方丈北庭「閑眠庭」、宗麟の思いをくんで、縦に4つ、横に3つ並んだ石で十字架が表現されています。閑眠庭の向かいに茶室「安勝軒」、この茶室もふたつのお庭も昭和の作ですが、重要文化財の方丈そのものや玄関、唐門の写真は撮りそびれていました。

瑞峯院の隣にも常時公開の龍源院。こちらは撮影OKもインターネットにはアップしないでくださいとのこと。日本最古の火縄銃や家康と秀吉が対局したと伝えられる碁盤が展示され、床の間には「日々此好日」と書かれた達磨さんの掛け軸がありました。観光寺院とは一線を画す行動制限の無いお正月でも人の少ない静謐な大徳寺ですが、逆に観光寺院の良さを感じてしまった次第です。

カワアイサ

大徳寺前から1系統の市バスで出町柳へ戻ります。出町柳の2つ前新葵橋で下りて鴨川をチェック。鴨川の橋は葵橋ですが、バス停はなぜか新葵橋。

赤い足の白いカモ、カワアイサです。

さきっちょが曲がったくちばし、その構造のためかよだれのように水を垂らしてます。

勢いをつけてダイブ。

くちばしから滝のように水が流れています。黒い頭は構造色で緑色。

♂が2羽。

♀もいました。

♂2羽はとっても仲良し、♀はぼっち。

カワアイサ♀が大あくび。美しい水紋を描いてます。

カイツブリのカップル。ひげを伸ばしたサンタさんのようなアオサギが堤防に立ってました。

もう出町柳の主(いちばん目立つ鳥)はトンビじゃなくてセグロセキレイになったかも。

もし鴨川がなかったら、京都はさぞかしつまらない町だったろう、と思います。大阪は晴れているようです。