昭和の中学生の撮り鉄

古いアルバムの紙焼きをiPhoneで撮ってレタッチしました。カメラは35mmハーフサイズのキャノン・デミ(たぶん)。

小海線

中2の夏休みだったかと思います。母にせがんで、弟と3人で横浜へ行くのを中央線経由にしてもらったと記憶します。それも名古屋から夜行で中央東線直通の臨時急行霧ヶ峰(急行蓼科だったかも)で小淵沢へ、八ヶ岳高原号乗り鉄が目的でした。新宿発松本行夜行普通列車に連結された旧型客車3両が小淵沢で切り離され、C56牽引で野辺山へ向かう臨時列車です。

写真は野辺山駅でのC56-144です。当時の鉄道雑誌(たぶん鉄道ジャーナル)に掲載されていた塚本和也さんの小海線C56の写真を矯めつ眇めつ眺めていたのですが、有名な八ヶ岳を背景に鉄橋を渡るシーンとか、小淵沢の大カーブとか、そういう撮り鉄が自分でできるなど全く思いも及ばず、乗り鉄+駅撮りできれば十分に満足でした。

これが大学生の時、八ヶ岳の麓のペンションでバイトする伏線になったと思います。清里が原宿みたいになって、それがあえなく廃墟の街になってしまうずっと前の話です。

「踏切は一旦停止」の白樺で組まれた案内板の写真もたぶん野辺山駅。C56-159は「澤乃花」の広告看板で伴野酒造最寄りの中込駅と分かります。ここにC56のねぐら、中込機関区がありました。小淵沢へは戻らず、小諸へ出て、信越線経由で横浜へ向かったと薄っすら思い出しました。

ちなみにC56-144は1973年に廃車、小諸の懐古園に静態保存、C56-159はその後七尾線へ転籍、1974年に廃車、七尾線沿線の公民館に静態保存されたものの、1995年に解体、第2動輪だけが梅小路に保管されているようです。

大阪駅・山陽本線

1972年の大阪駅、DD54牽引の福知山線普通列車が到着、国鉄では数少ないワンボックスでヨーロピアンスタイルのディーゼル機です。

5番線に153系の西明石行新快速が到着。新快速登場は1970年の万博直後、1972年に113系から153系に置き換え、117系登場は1980年です。

従姉弟宅のあった摂津本山駅付近(たぶん)をEH10牽引の貨物列車が轟音蹴立てて通過。当時でもレア物だった2車体永久連結の電気機関車、真っ黒に黄色いラインが異彩を放っていました。

宇野発新大阪行の特急うずしお、他の写真と違って、なぜかよく撮れていて殆どレタッチしていません。181系だとばかり思っていたのですが、ヒゲがあるので、どうやら交直流の481系のようです。

木曽福島

C12-74、中津川機関区所属ですが、撮影地はたぶん木曽福島です。D51もいます。

もう1機のC12-171は煙室扉が警戒色、木曽福島の入換機です。C12-171は諏訪市に静態保存、C12-74は恵那市中央図書館に静態保存、屋根付きで保存状態良好の由。

木曽福島機関区のターンテーブルと3線の木造扇形機関庫、この他にもっと大きな機関庫があったのに何故か写真が無いです。下記の東洋活性白土からの帰り道かと思ったら、C12-74は1972年に廃車されているので、それより以前、それに夏の写真と思われ、御嶽山登山の帰りとかだったかも。

東洋活性白土専用線

糸魚川にあった東洋活性白土専用線の2号機、残念ながら中学生の自分は逆光の何たるかも理解していなかったようです。石油精製に触媒として用いられる活性白土の工場が国鉄糸魚川駅近くにあり、糸魚川駅の貨物引き込み線から工場までの約700mを610mm軌間ナローゲージの専用線で原料搬入製品出荷していました。

TMS(鉄道模型趣味)に掲載されていた紹介記事をこれも矯めつ眇めつ眺めていて我慢できずにでかけた次第です。中学を卒業して高校に入学する前の1973年3月です。

東洋活性白土という会社は1982年に解散してしまったものの、2号機は糸魚川のフォッサマグナミュージアムに静態保存されているようです。

糸魚川から南小谷まで移動して、スキーはせずに、スキーで定宿になっていた南小谷村の民宿に泊まりました。この頃、神戸の従姉弟や体育教師だった叔母たちと、ほぼ毎年スキーでここに来ていました。

「コルチ国際スキー場 第8リフト歩いて7分」と案内板がありますが、「コルチナ国際」(現、白馬コルチナスキー場)の間違いです。このちょっと前まで確か「南小谷スキー場」という名前だったのが、イタリアのコルチナダンペッツォに因んでオシャレに名称変更したばかりで、地元の人にもまだ正確に理解されていなかったようです。

ゲレンデからいささか遠い農家さんの民宿、ソースの瓶に「ソウース」と書かれていたのを今も覚えています。第8リフトまで7分も、雪の山道をスキー板を担いで行くので、結構きつかったです。でも帰りは林道をボーゲンで下りてくるのはとても楽しく、板とブーツを乾燥室に入れ、ウェアから着替えた後の疲れ切ったところで出される、おしるこ+口直しの野沢菜漬けは格別でした。田舎の実家とかの無い自分には、ちょっとそれに代わる宿という思いがあったように、綿入れを着た写真の自分を見て思い出しました。