最長片道切符の旅
宮脇俊三さんの主な著書はもれなく読んでいると思っていたのですが、最長片道切符の旅 (新潮文庫)の17刷が店頭に並んでいるのを見て、買ってしまいました。 ハードカバーも再販されているのを見つけました。
この途中下車印でいっぱいの切符の表紙、自分の本棚に並んでいた記憶があるのですが、おそらく読んだのは20年くらい前のようで、読み直してみると、殆ど記憶になく、改めて宮脇ワールドをじっくり味合わせてもらいました。
昭和53年の旅の話で、北海道の広尾駅から九州の枕崎駅まで13000キロ、旧国鉄を同じところを通らずに、一筆書きでたどって行くその経路が、巻頭にあるのですが、それと較べると今の時刻表の地図だと随分寂しくなってしまっているのが一目でわかります。
出発点の広尾駅なんてとっくの昔になくてっている等、特に北海道の鉄道網が極端に寂しくなっています。天北線、羽幌線、湧網線、池北線、胆振線が廃止され、北海道の一筆書きは半分くらいになっているのでは?
この13000キロには四国も含まれるのですが、広島県と愛媛県を結ぶ国鉄の仁堀航路というのが残っていたから実現できたもので、旅の4年後に書かれた本著の文庫版あとがきに、既に仁堀航路がなくなって、四国へは行けなくなったことが書かれています。
この旅で乗る列車の中心は、今やその種別すら風前の灯となった「急行」です。大雪、狩勝、ノサップ、天北、ちとせ、すずらん、こまくさ、むつ、そとやま、まつしま、ときわ、富士川、伊那、こまがね、あがの、白馬、はまゆう、しらはま、のりくら、大社、丹後、みささ、石見、むろと、よしの川、あしずり、あきよし、雲仙、火の山、日南、錦江、といった急行が順に登場してきます。
殆どがキハ28/58だったはずです。「多層建急行」というのが当時いっぱいあって、2つ、場合によっては3つの行き先の急行が一緒に出発して、途中で別れ、こんどは別の出発地からやってきた別の急行と一緒になったりします。上述の大阪発姫路経由鳥取行き「みささ」は月田行(中国勝山の隣駅)の「みまさか」と一緒に出発し、津山で切り離され、岡山からの「砂丘」が「みささ」に連結されて鳥取に向かいます。
他にユニークなのは「大社」で、名古屋発、東海道線、北陸線、小浜線、宮津線、山陰線経由、出雲市行で、途中、3回も方向転換をして、さらに福井からの同名の急行も連結します。こんな経路の急行列車にニーズがあったのか不思議ですが、この宮脇さんの旅でも、名古屋から山陰に行くなら、岡山まで新幹線で伯備線乗り換えが常識、あにはからんや「大社」の乗車率は10%程度だったことが記されています。
その他にも白浜から和歌山線、桜井線、奈良線経由京都行きの「しらはま」、大阪、長崎・佐世保間の客車急行「雲仙・西海」など、メチャなつかしい列車がこれでもか、と登場してきます。
自分もそこそこ乗り鉄をやっていて、家にいてもためつすがめつ時刻表を眺めていた頃の話しでもあり、読んでいるだけで、当時の旅を再現してくれる、きわめて描写的客観的でもやさしさとウィットに溢れる宮脇さんのこの代表作、毎日少しずつ、大事に大事に読ませていただきました。
当時の自分の旅の写真も探せば出てくるはずで、このブログで書いておきたいと思っているのですが、スキャナもフィルムスキャナもSCSIで、記事に出来るのはいつのことになるやら・・・