千利休とその妻たち
2011/05/21(土)
信念を貫き通す生き方をテーマに、高山右近や山上宗二の揺るがない生きざまに対して、茶の湯の心という信念と、信長や秀吉の茶頭としての自身の栄達の狭間での利休の心の動きを描かれていますが、三浦作品で同じ時代を扱った細川ガラシャと比べると、いささか物足りなさが残ります。
茶の湯の心がひとつの宗教のように表現されているのですが、これは利休の美学とはちょっと違うのではないかと感じます。信仰と美意識を同じレベルで語るのはいささか無理が有ります。
また憎しみを否定するはずが、秀吉や三成の描写は、読者に憎しみを抱かせるばかりで、この観点からは本作は失敗の要素があると思います。特に三成の描写はかなり一面的です。
茶道の作法に聖餐式にちなむ要素が取り入れられているといった、著者らしい視点で、また時代背景や利休の考えからして、さもありなんと感じ入る描写もあり、二畳の茶室、黄金の茶室、黒茶碗など、利休がなぜそれを生み出したかの描写も分かりやすいのですが、この辺の描写も利休にたずねよが優っています。
やはり三浦綾子さんの真骨頂は、戦国時代のキリシタンではなく、塩狩峠、泥流地帯、銃口、海嶺など、明治以降のプロテスタントの世界にあると思います。