若桜鉄道で考えたこと

山陰海岸の遊覧船は諦めて、初めてやってきた鳥取です。

駅前商店街でアーケードの天井を開けてはしご車の試乗会をやってました。これは乗ってみたいですが、お子様だけのようです。

何やら時代行列も、した〜に、したに。

時間はたっぷりあるので、色々悩んで、いかにも夜は〆のラーメンで賑わいそうな、商店街の牛骨ラーメンにしました。鳥取のご当地ラーメンだそうです。豚骨よりリッチな味わい、美味いです。

鬼太郎列車が来年1月から6月にかけ全6編成リニューアルとの鳥取駅のポスター、これは楽しみ。

若桜へ

遊覧船に乗らなかった分、もう1箇所、鳥取で行ってみたかった若桜へ行ってみることにします。

ちょっと早めにホームに上って撮り鉄。因美線智頭行のキハ47が出ていきました。因美線は高架線上で分岐していきます。

智頭急行のHOT3500形が出番を待っていました。スタイル、デザインともに秀逸です。

これから乗る若桜鉄道WT3000形が入選してきました。どう贔屓目にみても智頭急行よりかなり見劣りします。

車内はキハ47よりはずっと座り心地のいいボックスシート、運転室周りは見覚えがあるレイアウトです。関西線のキハ120と同じ新潟トランシス製の軽快気動車で、ボックスシートとロングシートの違いはあるものの、上から下までガラス窓になった折戸もキハ120と同じです。

郡家駅到着、ATCの警告音がJRとかなり違ってます。

郡家駅でJR西日本のぽっちゃりした女性運転手さんから若桜鉄道の運転手さんに交代、因美線と別れ若桜鉄道に入ります。

隼駅にED301とナンバープレートが付けられた電気機関車が保存されています。元北陸鉄道の電気機関車だそうです。

ED301の後ろにオロ12 6が連結されています。12系客車にグリーン車ってあったっけ、と調べてみたら、JR四国がオハ12を改造したものと分かりました。内部は簡易宿泊所になっているそうです。

人形で賑わいを演出した木造駅舎の隼駅は「鉄道ファンとライダーの聖地」だそうです。スズキのGSX1300Rハヤブサに掛けているのですが、ハンパじゃなくて、10年近く前から、隼駅まつりというのが毎年開催されていて、ハヤブサオーナーが集まり、地元住民は駅前を整備し、スズキ自体の協力もあるそうです。

隼の本家本元、猛禽のハヤブサ絡みでバードウォッチャーもぜひ仲間に入れて欲しいところです。ハヤブサがいなくてもチョウゲンボウは棲んでいそうな環境です。

八東はっとう駅にはワフ35000形が保存されています。前方にうっすらと高い山、位置的に氷ノ山ではないかと。

終点若桜に到着、背後の山が目の前に迫っていて行き止まり感が強くします。

国鉄若桜線として昭和5年に開通、当初兵庫県八鹿をつなぐ計画も若桜から先は着工すらされませんでした。氷ノ山をぐるっと回って若桜と八鹿を鉄道で結ぶことは、技術的にも経営的にも不可能と思われ、端っからそのつもりはなかったのではと推測します。

国鉄再建法の下、第一次廃止対象地方交通線にリストされるも、第三セクターとして経営が引き継がれ、その後も上下分離や社長公募等いろんな政策の下、鉄路が守られてきたのは奇跡的です。

同じ鳥取県内の似たような環境と規模で第一次廃止対象にリストされ、あえなく廃線になった倉吉線とは、地元の熱意、強力な政治、優秀な役人、何が功を奏したのかはわかりませんが、紙一重だったんだろうなと思います。

若狭駅のトリオ・ザ・ブラック

いました、DD16とC12。機関車の近くへ行くには入場券ならぬ入構券300円の購入が必要です。

WT3000形の増結作業が始まりました。朝の通勤通学時間帯は3連にもなるそうです。

C12型167号機、後ろは給水タンクで、機関車の陰に給炭台もあります。

ピッカピカに黒光り、最高の保存状態です。それもそのはず動態保存です。石炭を燃して蒸気で走るのではなく、圧縮空気でシリンダーを動かし、毎月2回若狭駅構内をデモ走行しています。

子供の頃からC56と並んで特に好きだった機関車です。1-C-1、先輪1軸+動輪3軸+従輪1軸のタンク機、昭和の蒸気機関車としては産業用を除き国内最小クラスです。

ターンテーブルの設備もないようなローカル線が主な活躍路線で後ろ向きで運転されることも多い機関車でした。昭和13年日本車輌製、米子、鳥取、加古川、奈良、吉松、南延岡と各機関区を異動し、昭和49年に廃車、最も長く活躍していた加古川線沿線で静態保存されていたものが、平成19年に若桜鉄道へ譲渡され動態復元されています。

現役のC12ではっきり記憶しているのは木曽福島の入換機C12-199号機、後ろのタンクがゼブラ模様の警戒色になっていました。何処かに写真があるはずで、出てきたらアップします。

足元にC12のように黒光りするハグロトンボ♀が止まりました。

DD16はC12やC56を置き換えるために導入された小型ディーゼル機関車で、C12やC56が大好きな自分にとっては仇のような存在でしたが、可愛いスタイルが結構気に入っていました。しかし導入されたローカル線の貨物輸送や、ローカル線自体が廃止され、活躍したのは短期間でした。

若狭駅のターンテーブル、操作小屋はなくて、両端の取っ手を押して歩いて回転するようになっています。製造銘板には昭和5年川崎車輌製 - 鐡道省、と刻印されています。

不思議なことにターンテーブルの周辺から石炭の匂いが漂ってきます。

給水塔、木造駅舎、ターンテーブル、すぐにでも動き出しそうなC12、昭和にタイムスリップ。

今日は秋分の日、ヒガンバナにカラスアゲハ。C12、ハグロトンボ、カラスアゲハ、若狭駅のトリオ・ザ・ブラックの完成。

機関士側の窓にはワイパーが付いていて、その向こうにDD16の旋回窓が見えます。細いボイラーがやはりC12の可愛さの源泉、煙室扉上の砲弾型シールドビーム灯ともベストマッチ。

見事な復元ぶりにはため息が出るほどです。ボランティアの人たち、若桜鉄道のスタッフの人たちの努力と思いは間違いなく伝わってきます。

引き込み線と垂直方向にレールがあってその先の小屋に保線用のトロッコが保存されています。

小屋に5項目の「トロリー使用訓」が掲げられています。国鉄時代それも昭和20年代のままのようです。

引き込み線はさらに150mほど延びていて一番奥に除雪用の事業用車両が留置されています。

使われなくなって久しいと思われる小荷物検量用の秤がそのまま置かれています。

ホーロー引きの駅名板の奥に氷ノ山スキー場の広告、調べてみたら今でも冬場は若狭駅から氷ノ山スキー場へバスが運行されているようです。

12系客車が3両保存されています。スロフ12+オロ12+スロフ12で、隼駅のオロ12同様、元JR四国の車輌です。

若狭駅には公衆電話ボックスが設置されていました。このタイプじゃなくて、ベージュの箱にHゴムの窓、赤い屋根に赤電話の公衆電話にして、隣に寸胴型の郵便ポストを置くとグッと引き締まると思います。

若桜→なんば1600円

実は若桜へやってきたのは若桜鉄道だけじゃなくて、これがもう一つの大事な目的です。若桜からなんばOCATまでの高速バスが何と1600円、鳥取から若桜までの運賃を足しても2270円!

駅前に大型バスが入れそうもない小さなバスターミナルがあり、大阪行のバスのりばはここですか、と尋ねてみたところ、駅の反対側の5分ほど歩いた道の駅のところと教えてくれました。

まだ時間はたっぷりあるので、若桜の町を歩いてみました。美しい古い町並みが残っていますが、誰も歩いていません。入構券を購入してC12を見学していた間も自分ひとりしかいませんでした。高速バス代半額は若桜町の観光促進のための補助金が原資と思われますが、どうも思惑通りには行っていないように見受けられます。

美容室というよりパーマ屋さんの看板がこの町並みにとても似合ってます。

製材所とお寺の本堂の大きな屋根に挟まれた田んぼで稲刈りの真っ最中です。

杉の丸太がキレイに積み上げられています。3両くらいの長物車チキに丸太を満載したC12が牽くランバートレインの様子が目に浮かんできます。

木のいい香りが漂ってきます。製材所のホームページがありました。木材は若桜の山林から伐り出したものですが、販売されているのは殆どが足場板で、建材そのものとしての出荷は少なそうです。国内の林業はずいぶん寂しくなりました。

製材所側から見た若狭駅です。除雪車の全体像も確認できました。

高速バスのりばは道の駅の中じゃなくて、道路の反対側にありました。

道の駅のレストランは閉まっていて、ワンボックス屋台の笑顔が素敵なイケメン兄ちゃんが焼いてくれた広島焼きが美味しかった。

まだまだたっぷり時間があり、道の駅で時間つぶし。しいたけを原木のまま売ってます。しいたけが大好物なのでよほど勝って帰ろうかとも思ったのですが、重そうなのでやめておきます。ビールでも飲むかと売店を物色していて見つけた白バラ牛乳は絶品でした。こんな甘くて飲みやすい牛乳は初めてかも。

バスの発車時間10分前くらいにバス停へ戻ってみると、既に、まだ若いバァバさんとちっちゃい女の子が待合室にいました。ほどなく彼氏のクルマで送ってきてもらった女性もやってきました。どこにいたのか、大きなキャリーバッグを転がしてくる人たちや、7、8人の若い女性グループも続々とやってきて、10人以上が若桜バス停から乗り込みました。

バスは日本交通の鳥取-大阪線の1日片道2本が若桜を経由するもので、3列シート、トイレ、コンセント付、これで1600円は申し訳ないくらいです。この2本だけが国道29号線のワインディングロードを行くものの鳥取道経由と所用時間は大差ありません。

帰りのバスで考えたこと

ダサダサの若桜鉄道WT3000形が近々に水戸岡デザインに更新されるそうです。自分は水戸岡デザインを好まないのですが、できるだけ意味のないレタリングを減らして、(好きじゃないですが)水戸岡風木質インテリアにするのなら、ぜひとも若桜の木材を使って欲しいものです。

水戸岡デザイン導入を含め、短期間で数々の際立ったマーケティングを実行してきた公募社長さんが先ごろ退任、若桜町長さんが社長に復帰されたそうです。SL走行社会実験として乗客を乗せずに走らせたのもこの前社長さんの手腕によるもので、当日の動画を見ると、鉄ちゃん以上に、地元の人たちが、まるで新線開通のように盛り上がっていて感動です。

一方でC12全体をピンク色に塗ってのイベントとかは自分的には大きな「?」です。大井川鐵道のトーマス列車の大成功に習ったのでしょうか。大井川のトーマスは今や大井川鐵道の屋台骨を支える存在にすらなっているようですが、嫌いです。サザエさんやちびまる子ちゃん一家がイギリスの豪邸でちゃぶ台囲んでフルコースと格闘しているような違和感や滑稽さがあります。

イギリスの田園風景が舞台のトーマスの世界を静岡のお茶畑で再現することは不可能です。大井川のC11もトーマスもどちらもニセモノになってしまいます。子どもたちには本物を体験させてあげるべきです。つまり大井川のC11はあくまで真っ黒であるべきだと思います。大人も本物だからこそ懐かしさを体験でき、自分も今日、本物のC12を体験、大きな感動を味あわせてもらいました。ピンクに塗り替える必要は全くないはずです。

ついでまで、水戸岡デザインの車輌にあるような、窓際に小さな椅子を置いたお子様席も不要です。子どもたちには大人と同じ席に座らせ、電車とはこういうものだと体感させるべきです。子どもたちは大人と同じ席だと外が見えないので、工夫してロングシートで後ろ向きに座ったりします。子どもたちの貴重な社会体験で、大人になってもずっと懐かしい思い出として残ります。このページ冒頭のはしご車のイベントも同じだと思います。

40年ほど前、学生の時にウェールズのフェスチニオグ鉄道を訪ねたことがあります。1836年開業の世界最古の鉄道のひとつです。1946年に廃線後、1955年には保存鉄道として再開されています。40年前も既に保存鉄道だったのですが、変わらず運行されていて、今やプルマンカーを連結してアフタヌーンティーまで楽しめるようです。フェスチニオグ鉄道については写真を探していずれ詳しくブログを書きたいと思います。

フェスチニオグ鉄道を含めイギリス全土に凡そ100箇所の保存鉄道があり、その運営を支えているのは鉄ちゃんのボランティアたちで、列車の運行にまで携わっています。ドイツにも多くの保存鉄道が点在しています。

イギリス、ドイツと並んで世界3大鉄ちゃん国の日本でもいずれそのような時代が来るんだろうな、と40年前から思っていたのですが、国内でも長年奮闘されている方が少なくないことは知るものの、残念ながらイギリスのような保存鉄道は未だ大きなウェーブにはなっていません。

その違いは文化なのか、法律なのか、学び甲斐がありそうです。国内でも理念を共有できる仲間たちが集まる保存鉄道があれば、自分にはどうしようもない資金面以外で、自分も微力なりともぜひ参加させてもらいたいと思います。

若桜鉄道と同じくC12の復活に取り組んでいる明知鉄道や、公募社長さんの強力なリーダーシップで類を見ない鉄道運営しているいすみ鉄道に行ってみたくなりました。