夙川河口のシギチたちとコアジサシ

春のシギチの渡りのピーク、ウチから一番近い浜辺といえる夙川河口、香櫨園浜・御前浜へ。

尼崎で7861形が車庫から出たり入ったりしていました。駅の神戸側の留置線にもう1編成いて、武庫川線でピストン運転中の1編成と全部で3編成だけの赤胴車です。架線柱に顔が隠れた急行西宮行、各停に乗り継ぎ香櫨園着。

レンタサイクルは借りないで、夙川土手の気持ちのいい遊歩道を1kmで河口です。水位が高いとくぐれない浜夙川橋の下を行くと消防署が放水訓練をしていました。

左岸先端の干潟にコアジサシ、キアシシギ、それにまとまった数のハマシギ。ひと月前に来た時は寂しい限りだったのですが、今日はかなり賑やか。

トウネンもいました。横縞の水紋が綺麗です。

コアジサシとハマシギとキアシシギ、いずれもほぼ同じ大きさ。コアジサシは南の国からやってきた夏鳥、ハマシギとキアシシギは旅鳥でもこれから向かう北の国の繁殖地は異なるわけですが、ここ夙川河口で集う訳です。ひっさりぶり〜、元気にしてた?という声が聞こえてきそうです。

ハマシギたちが一斉に飛び立ちました。おや、チュウシャクシギも1羽混じってます。

一旦干潟の先端に一度下りて、また一斉に飛び立ち上空で旋回、コアジサシもいっしょ。

グルッと回って同じところに戻ってきました。

もう少し近づいても動じないで、ずっと砂浜をつついていて、コアジサシだけが海を眺めています。

ハマシギ視点だとカワウは巨鳥です。冬羽のままのユリカモメがまだいます。

砂浜に腰を下ろしてボケーっとしていると、ハマシギ数羽とトウネンがすぐ間近まで近づいてきました。あまりに近いので動画で。

トウネンをアップで。

左岸干潟の先端にチュウシャクシギ、すると、さらにたくさんのハマシギたちが合流してきました。

こういうシーンを見たかったんです。いささかピンボケですが、飛んでる鳥全部にピントが合ってたら、変じゃないかとも。

動画で撮ってコマ送りで数えてみました。ハマシギが134羽。

コアジサシ2羽、たぶん向うが♂でこっちが♀、♂が魚を取りに出発!

それを見ているハマシギは、コアジサシさんたち大変だねぇ、自分でゴカイ取って食べればいいのに、おいしいよ、と。

ハマシギたちがえらくくっきり撮れました。

と、150羽くらいのハマシギたちが一斉に飛び立ちました。真正面からだとハマシギには全然見えません。

ビーバースカウトと思われる水色ユニフォームの子どもたちが20人くらい浜に突撃してきました。ハマシギたちはそれを察知したようです。

ビーバースカウトたちは磯遊び、早速ガザミかと思われる大きなカニをゲット、さすがです。子どもたちにならって自分も探してみましたが、何も見つかりませんでした。

コアジサシたちは遠くへ行かずホバリングしています。

子どもたちを避けて香櫨園浜の東の磯へ向かってみます。河口側を振り返ると、すぐ間近にキアシシギが2羽下りてきました。

キアシシギ動画。

東の磯はやめて河口へ引き返すと、ハマシギたちは右岸先端の干潟に降りてました。コアジサシも右岸に。

動画でコアジサシ。飛び込みシーンは撮れてません。

河口の対岸には兵庫県立海洋体育館があってヨットやカヤックなどいろんなマリンスポーツが楽しめるそうです。調べてみたら思ったよりずいぶん安く、ちょっと惹かれます。

この広い空間の心地よさを伝えたくて、バーダーさんの後ろ姿を1枚。

まだまだ引き潮で、どんどん干潟が広がっているのが分かります。

河口のちょっと東側でシロチドリとトウネン。

ビギナーらしきご夫婦のバーダーさんにシロチドリ は分かるけど、一緒にいるのは、と聞かれて、トウネンだと思います、と答えることができて、ちょっと嬉しい。

トウネンのかわいいアクション。

トウネンとシロチドリの動画。

コアジサシがホバリングと飛び込みを繰り返して捕まえてきた魚を咥えてます。自分では食べません。

魚は♀にプレゼント、コアジサシの求愛シーンです。

歩いて右岸へ渡れそうですが、水深5cmくらいはあるので止めておきます。今度はビーチサンダルを忘れないようにしたいと思います。

ヨットやドラゴンボートが近づいてきても、ハマシギたちは動じないで砂浜をつついています。

まだ12時を過ぎたばかり、いつもならもう1箇所回るところですが、2時間ばかりで動画を含め400枚も撮っていて、カメラの電池がなくなってきました。夏場所初日も見たいので帰ることにします。

快速急行奈良行は近鉄シリーズ21、阪神の車輌のようにカバンを掛けるフックがついていないので、貫通ドアの取っ手にカバンが掛けられていて、大いに感心。

武庫川線の分岐で引き込み線に7861形がチラッと見えました。1編成のピストン運転中、もう1編成はここで留置されているそうです。だとしたら朝、3編成しかない赤胴車の内、2編成が尼崎にいたのは何故?