重慶

四川省の大地震、いたたまれない思いです。今この瞬間も瓦礫の下で人知れず息を引き取る人たちがたくさんいることを思うと、身の毛がよだちます。漸く日本の救援隊の受け入れが認められたとこと。日本のレスキュー隊のみなさん、加油!ひとりでも多くの命を助けてください。

何とか助かった人たちも、住むところも仕事も畑も無くなってしまったわけで、社会のしくみが未整備のこの地域で、今後この人たちの生活がどうなるのか、難民化するしかないかもと思うとやりきれません。

重慶市にも少なからず被害があったようですが、ここには2004年に訪れたことがあります。1997年に直轄市に昇格していますが元々は四川省の一部で、食べ物がとにかく辛かったのが一番記憶にあります。

当時お付き合いのあった香港の会社の社長さんに同行しての出張で、深センから四川航空の737に乗って重慶に入りました。真っ赤スーツのCAさんは笑顔の可愛いお嬢さんたちなのですが、いかんせんアカ抜けてなかった印象が残っています。

重慶の街は長江(揚子江)に沿った盆地で、市域は何と北海道全体と変わらない広さがあります。都心には高層ビルが立ち並んでいて、上海と変わらないOLさんたちが闊歩している隣を、天秤棒を担いだおじさんが歩いているという、なんともアンバランスで、中国の縮図を見た思いがしました。高層ビル街からちょっと外れると、昔ながらの建物ばかりで、モノレールが建設中だったものの、周りは典型的な農村地帯でこんなところにモノレール作ってどうするんだろうと思いました。

長江の獲れたての魚でめったに食べられないよ、といっぱいごちそうになったのですが、出てくる料理どれもこれも、とにかく辛い!これが本場モンの四川料理なんでしょうね。同行していた上海人もこれは無理、でも腹が減るからとケンタッキーに駆け込んでいたのを覚えています。それと食べかすや骨を、ぺっぺっと床に食べ捨てるのには驚きました。ただ歓待していただいているという気持ちはすごく伝わってきました。

夜ホテルの裏にあった屋台街をひやかし、食べた麺がそれほどは辛くなく、とてもおいしく、なんか素朴でいいなと感じ入ったのを今も覚えています。

あれから4年経っているので、高層ビル街も拡大、開通したモノレール周辺もどんどん開発が進み、床に食べ捨てるマナーも改善されていることだと思います。ただあの素朴な人情は変わっていないことは間違いないと思います。

同じ年の夏、重慶で開催された、当時レイソルに所属していた玉田がゴールを決めたアジアカップで、君が代にブーイングする人たちを見てとてもショックでした。あの素朴な人たちとスタジアムに居る人たちは別の中国人なのか?個人ではいい人たちが集団になると変わってしまうのか、長野の聖火リレーの時にも同じことを考えてしまいましたが、答えは見出せていません。

そんなことはどうでもいいから一人でも多く助かって欲しいというのが今の気持ちですよね。