天見・流谷は野菊の里

朝ドラらんまんが大団円、最終回より最終週前半、昭和33年のシーンがとても印象に残りました。萬太郎の強くて優しい祖母タキを演じた松坂慶子さんが萬太郎の娘として再登場、そして語り部としてずっと画面には登場しなかった宮崎あおいさんが萬太郎の遺品整理のアルバイトとして登場。松坂慶子さんにしか演じられないだろうと思われる包容力と優しさあふれる手振り身振りや語り口、自分のごく小さい頃の母と同じようなヘアスタイルの宮崎あおいさんの知性的な演技、そして色んな植物園で何度も見た、口を大きく開け満面笑顔の牧野博士の写真を神木隆之介さんがまんま再現、この作品スタッフの演出力に脱帽です。

自分的には牧野博士の植物といえばらんまんに咲き誇っていたマルバマンネングサ。もちろんこの時期に花が咲いているはずはないものの、もう一度同じ場所に行ってみたくなりました。

9時前の難波駅、4番線には31000系こうや号、3番線の橋本行快速急行は食パン型の6200系。中国人カップルから関空行のきっぷを見せられ、Over thereとラピートの方を案内し、ホーム前方へ移動すると6200系6連の前に6000系2連が繋がれていました。

運転室後方右側のラブラブシートをゲット。片開きドアを隔てた反対側には20人くらいのアメリカ人グループ、特急券を節約しての高野山ツアーのようですが、えらく盛りあがっていて車内放送がぜんぜん聞こえないくらい輻輳する英語が飛び交ってました。

土日は1本しかないレアモノの快速急行です。目的地の天見駅には止まらないはずなので、河内長野で下車。運転士さんに確かめてみると即答かと思いきや、わざわざ運転台の行路票をチェックしてくれて止まらないことを確認、やはりレアモノの快速急行です。

次の6300系橋本行急行で天見に到着、無塗装に戻された6001編成とすれ違わないかずっとチェックしていたけど出会わなかったけど、千代田の車庫にも見かけなかったので、今日の運用には入っているようです。6001編成の運用は公表されておらず、おそらく日替わりと思われ、車内から目を皿にして対向列車をチェックする外ありません。

山小屋風木造駅舎の天見駅です。

踏切でちょっと撮り鉄、2000系6連の極楽橋行急行、これも土日は1本しかないレアモノです。難波から橋本を越えて極楽橋まで直通運転の急行、ズームカーによる伝統的「大運転」ですが、橋本で後ろ2両を切り離さないと極楽橋へは行けません。

踏切脇の登山道ルートマップ、目的地の流谷(ながれだに)へは40分の距離です。流谷からさらに奥へ進み、加賀田から岩湧山とは反対に河内長野市街方向へ山を下りると大江時親邸跡とあります。私本太平記に登場、楠木正成の兵法の師、一癖も二癖もありそうな毛利時親(安芸毛利氏の祖)が隠棲していた場所で以前から訪ねてみたいと思っていたのですが、流谷から歩くより河内長野へ戻ってバスに乗るべきと分かりました。

チャバネセセリです。

ホバリングしながらキバナコスモスの蜜を吸ってるオオスカシバがばっちり!

栗はイガが弾けてきているものの柿は青いまま。

赤とんぼがホバリングしてじっくり撮らせてくれ、地面に止まりました。特徴的な褐色の太い帯、それに翅の縁に朱色の班、初見のミヤマアカネです。

農家の納屋に取り付けられた看板は「贈り物専門店、ハリカ富田林店」とは読み取れるまで。今や人通りのほとんどない道も、看板を設置した頃は広告料がもらえるほど人通りがあったのかも知れません。

よく見かける白い花はニラです。

刈り入れが終わった田んぼの畦にびっしりヒガンバナ。周囲は刈り入れが終わった田んぼと稲穂が実ったままの田んぼが混在しています。

道端の薄紫の花、アキノタムラソウと分かりました。花びらや茎にも細かい毛がびっしり生えています。学名はSalvia japonica Thumb.とjaponicaと付いているもののタムラソウの名の由来は不明だそうです。Wikiediaに「よく見れば綺麗な花ではあるが、草姿がだらしなく、大きくなるので観賞にはあまり向かない」とあるものの全然だらしなくなくとても清楚で可憐です。

いかにも野菊っぽい野菊はたぶんユウガギク。

ノラニンジンに似た茎まで白い花はシシウドの一種、ヨロイグサと思われます。

朱色のちっちゃい花はミズヒキ、以前枚岡公園で見たことがあります。

魔法使いの錫杖のような何か、全く不明です。実のような部分は5cmくらいあります。

渦を巻いた黄色い花はノアズキ。餡子の元、アズキの花も同じような形と色です。

マルバマンネングサポイントに到着、崖に葉っぱだけでも残っているのではと期待していたのですが見つかりません。でも何やら丸い葉っぱの草、よく見かけるマメシダと、もうひとつはネコノメソウの一種のようです。また来年を楽しみにします。

前回行きそびれた十三仏を訪ねてみます。棚田に稲架(はさ)。

細い花びらはたぶんノコンギク。葬式を連想させる菊はあまり好きじゃないのですが、野菊は大好きです。

十三仏とある案内に沿って左への道をとると、そこらじゅうにシュウカイドウ。坂道の手すりにヒカゲチョウが止まりました。

先へ進むも十三仏らしきは見当たらず、ようやく道を間違った気づき引き返します。ソフトバンクは完全に圏外、マップアプリは使えません。

白い花の上に黒い実、ヤマウドのようです。足元には実が入ったままのクリが転がっています。

案内板まで戻り山の方へ進むとケイトウ。棚田の畦に立てられた杭にネキトンボ。

河内長野駅で買った「いろはす」の残りが少なくなっていてちょっと焦ります。駅近くまで戻らないと自販機もありません。見覚えのある分岐点を左に上ると、棚田の向こうに前回もやってきた観音堂。農作業中のご夫婦に断ってロープを越えて草むらを行くと一歩毎にイナゴが飛び出してきます。

この観音堂の脇に十三仏があると思いんでいたのですが完全に勘違い、さっきの奥さんに尋ねると、電話ボックスの先を少し下って右、だそうです。

鮮やかな赤い花、Googleレンズはゴンズイ、と教えてくれました。牧野博士によると魚のゴンズイに由来しているそうです。赤いのは花じゃなくて実、黒いのは種と分かりました。

案内板まで戻ると十三仏はやはり左を指しています。ちょうど帰ってきた軽トラのおじさんに尋ねると、さらに坂を下ったところを右、と教えてくれました。案内板の左向きの矢印は左に曲がるのではなく道を戻る意味とやっと気づきました。

おそらく流谷の中心地と思われるところで井戸端会議中の地元の奥さんたちにもう一度尋ね、短い坂道を上ると黄色い案内板が掲げられた石造流谷十三仏像にたどり着きました。GPSが使えず人に道を尋ねて歩くのも楽しいです。正面は薬師堂、右手には流谷集会所があります。

正面からは見えないものの「シタニ」「テウロ」「浄金(ヨハキン)」と洗礼名が刻まれており、承応2年(1653年)10月15日と建立されたキリシタン弾圧の激しかった頃の日付も刻まれているそうです。刻まれた十三仏の並び方からも、イエス様と十二使徒を意味するものと思われ、流谷が隠れキリシタンの里だったと推測されます。

短い坂道を戻りかけるとさっきの奥さんたちが上がって来たので、おかげさまで、とお礼。ちょうどお昼時なので、集会所でお食事会とかがあるのかも。ソフトバンクは圏外もドコモはつながるらしく、ソフトバンクがつながる高野線高野下以南の古沢や細川辺りと較べても生活感が感じられます。

坂道のお宅の石垣に妙な花、園芸種のウキツリボクと分かりました。赤い部分は萼で、黄色い花弁から紫色の長いおしべが伸びています。

刈り取られた田んぼから何かが出てきて、思わずわっ、と声を上げてしまいました。ピンボケで何ヘビかはわかりません。

アキノノゲシです。

ノハラアザミにホシホウジャク! オオスカシバとホシホウジャクのホバリングを同じ日に撮れたのは初めて、「いろはす」の残りはほとんど無くなったものの、テンションアップ。

来る時にはなぜか気づかなかったけど、ところどころ薄紫の花がいっぱい、ヨメナです。

ヨメナにツマグロヒョウモンが♂ばかり3頭。かなり背が高くヨメナじゃなくてシオンかも知れません。

町中でもよく見かけるツマグロヒョウモンですが、ここのツマグロヒョウモンはまるでフジバカマに集まったアサギマダラのよう。

Wikipediaの野菊の説明が興味深いです。自分の苦手な菊は中国伝来の栽培種で菊の野生種は存在せず、野菊の範囲の「ごく野菊らしいもの」にヨメナ属もシオン属も含まれています。流谷観音堂近くにロウバイの梅林があって蝋梅の里と呼ばれるのですが、天見・流谷は野菊の里と呼んでも差し支えなさそうです。

この項続く