船場から中之島散歩

坐摩神社がサギソウの名所だそうです。まだちょっと早いかも知れないけど訪ねてみます。

以前自転車で訪ねたことのある坐摩(いかすり)神社、御堂筋線本町駅15番出口から徒歩2分です。2年前にも書いてますが、渡辺党の守護神で、現在も神社の敷地だけで大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺という住所を構成しています。船場の西端です。

白い花のように開いた葉っぱは、春先にピンクや白い花を鈴なりに咲かせていたアセビです。

さほど広くない境内をぐるっと回ってみてもサギソウは見当たりません。本殿の北側の棚に並べられていたのがそれかも、と引き返してみると間違いなさそう、まだだいぶ早すぎたようです。

追記(2023/8/28):今年の坐摩神社のサギソウは病虫害の影響で咲かなかったそうです(参考)。また来年。

また出直してくることにしてここから遠くない靭(うつぼ)公園へ行ってみます。坐摩神社前の通りを北へ中央大通りを渡ります。改めて地図をチェックしてみると、歩いている道は坐摩神社に因むと思われる「渡辺筋」となってます。

大阪市内に引っ越してきて十年以上経つのに歩いたことのないエリアです。壁面に楽しいイラストがいっぱい描かれたビル、クリエイター養成の専門学校か何かと思いきや「おおきにKOKODESU瓦町四丁目」という賃貸オフィスビルと分かりました。本町通のひとつ北、瓦町通と渡辺筋の交差点角です。同じかわらまちでも京都は河原町、大阪は瓦町、同じ条坊制の町でも渡辺筋河原町とは呼びません。

歯医者さんじゃなくて、麻雀サロン ビトゥイン、カンチャン待ちだと一翻プラスとかあるのかも。

渡辺筋をさらに北へ歩くと、駐車場に鳥居だけがポツンと立ってます。Google Mapの航空写真をみると駐車場には工事用の覆いに囲まれたビルが立っていて寶城寺の鳥居(御霊神社南鳥居)というマーカーがあります、ストリートビューだと駐車場じゃなくて空地、2021年9月のストリートビューだと中井ビルというビルが立っています。

このすぐ北側、御霊神社境内にあった寶城寺という神宮寺が明治時代の神仏分離令により境内が分けられるも後に廃寺となり、その後大正8年創業のガス工事会社、中井エンジニアリングがその土地を購入、近年建て替え工事で一旦更地になって、鳥居だけが残されることになったようです。

鳥居の裏側には明治十七年三月建之と刻まれています。明治17年に文楽座が御霊神社境内に移転、御霊文楽座として文楽の全盛期を築いており、鳥居裏側に刻まれた文字と辻褄が合っています。中井ビルが建てられるまで文楽座へ誘導する目的もあってこの鳥居が建てられたものと推測できます。

寶城寺の鳥居で渡辺筋は途切れ、淡路町通でクランクして北は船場魚棚筋にとなってます。そのすぐ西側に趣のあるお店はうどんすきの美々卯本店です。現在改装のため休業中ですが、江戸時代に堺で創業、戎橋南詰を経て、当地へ移転したのは終戦後だそうです。御霊文楽座は大正15年に焼失、昭和2年に四ツ橋で再建とあり(参考)、美々卯が文楽の観客を目当てにここに移転してきたのではなさそうですが、すっかりビジネス街となった今と違ってエンタメの町の趣が残っていたと思われます。

ちなみに文楽劇場は昭和31年に道頓堀へ移転、その後興行成績は悪化の一途を辿ったものの、昭和59年に日本橋に国立文楽劇場がオープンしています。橋下市政の時に助成金大幅削減で話題を振りまいたのは記憶に新しいところです。

淡路町通のひとつ北、平野町通に出てきました。自分の現住所の中央区東平は以前東平野町と呼ばれていて、この平野町に由来するものと思っていたのですが、どうやら違っているようです。この平野町は京都の平野神社に由来するらしく、江戸時代も大坂町奉行が支配する大坂三郷の一画。自分の現住所は東平野町となる前は北平野町で、秀吉の大坂城築城時に自治都市だった平野郷から強制移住させられできた町で、江戸時代は天領の年貢地だったようです(参考)。歴史的には自分の現住所の方が古そうですが、こちらの平野町は道修町に隣接し薬の町として栄え近年まで大手製薬会社本社が軒を連ねていたようです。

平野町通から四ツ橋筋へ出ると靱公園はちょっと行き過ぎていて少し逆戻り。朝の散歩のつもりがもう9時を回ってしまい暑い。

ムギワラトンボに会えただけでした。

まだ早いのでモーニングのお店を探します。お盆なので、閉まってるお店も多そうですが、「喫茶店 営業中」で検索して見つかった「EIGHT TO FIVE」というお店にやってくると、まだ9時半なのに10人くらいの行列、アメリカンブレックファーストの人気店と分かりました。パンケーキとベーコンオムレツのプレートとかリーズナブルで美味そうです。出直して来たいと思います。いわくありげな古いビルに2つの看板、夜は店名を変えてイタリアンレストランになるようです。

筑前橋たもとに見つけたいかにも昭和な喫茶店に入りました。もちろんドアを開けるとカランコロンとカウベル。

トーストとたまごとあったモーニングですが、たまごトーストとゆでたまごのダブルたまごになってました。モーニングを食べたばかりなのに、近くにキッチンジローがあることを思い出しました。腹を空かせるべく中之島を歩いてみます。

筑前橋を渡って中之島に渡ると大阪市立科学館、日本で最初のプラネタリウム施設で、子供の時に連れて行ってもらった記憶の残る、四ツ橋の大阪市立電気科学館の代替施設として平成元年にオープンしているのですが、初めて見ました。

市立科学館の北側、ビルの谷間に囲まれた十字架は明治18年設立の日本キリスト教会大阪北教会。日本キリスト教会は日本基督教団から独立した団体で日本のプロテスタント教会の源流にあるそうです。

田簑橋南詰にある中之島四季の丘、堂島側に立つ高層ビルをバックにサルスベリ。

去年開館した中之島美術館の来館者を迎えるShip's cat、船乗り猫です。佐伯祐三やモディリアーニのコレクションで知られていますが常設展というのは開設されていないようです。

中之島美術館と繋がった四季の丘、サルスベリの季節です。

アガパンサスがまだ咲いてます。いちばんにぎやかなのはペンタス。

赤紫のもペンタス。堂島川沿いの歩道には雑草のようなたくましいサルスベリ。

堂島川をバックにスモークツリー。白いサルスベリも。

京阪中之島線渡辺橋駅です。渡辺橋の向こうに同じ形3つはアクア堂島。京都の町歩きと異なり古い建物は限られ、仁丹のホーロー看板はないものの、かっこいい高層ビル群に囲まれた町で渡辺党の足あとをたどるのも楽しいですが、11時近くになるとかなり暑い。

フェスティバルタワーとフェスティバルタワー・ウェスト。朝日新聞がディベロッパーのビルで朝日新聞大阪本社や日刊スポーツ大阪本社、朝日放送報道センター、テレビ朝日関西支社、九州朝日放送大阪支社の他、日立製作所、アサヒビール、キャノン、日本IBMなど錚々たる顔ぶれの企業がオフィスを構えています。朝日新聞の部数が激減してもディベロッパーとして森ビルや三菱地所あたりとも伍して行けそうです。

フェスティバルタワーB1フェスティバルプラザのキッチンジローで「メンカレ」ことメンチカツカレーです。さんざんお世話になったキッチンジローが大量閉店、九段下店と中之島フェスティバルプラザ店の2店舗だけになってしまいました。カレーはトマト味が強くちょっと酸っぱくなった気がします。メンチカツととん汁の味は記憶のまま、価格はだいぶ上がってしまったものの「メンカレ」「スタコロ」「ハンカラ」といったお店の人の符牒がそのままなのが嬉しいです。11時に開店したばかりなのに早々と満席でビックリ、既に九州のファミレス、ジョイフル傘下だそうですが、改めて多店舗展開にチャレンジしてほしいお店です。

フェスティバルプラザから地上へ上がって炎天下の肥後橋を渡って来たものの、土佐堀川の下の地下道で肥後橋駅と繋がっているようです。