南海7000系@孝子

南海7000系4両と10000系4両が懐かしい緑のツートンカラーに塗り替えられ特急サザンとして併結運転されています。7000系の方は9月まで、その後は廃車されてしまいます。

この7000系は初代1000系と並び自分にとって鉄ちゃん人生の原点、通学ではさんざんお世話になった電車です。9月まで何度も通うことになりそうですが、まずは第1回孝子編です。

8:45発のサザンがなんばに入線。やっぱ南海はこの色でなきゃ。ホークース、ホークース、なんかいホークスー♪

とても丁寧に美しく塗装されていて、昔の社章プレートを取り付けビシッと決めています。

昭和38年帝国車両製、今は存在しない車両メーカーです。

昭和感たっぷりのマスコンとブレーキの運転席、2枚式昇降窓の留具。

シートのモケットは以前は確か臙脂色だったはず。デコラ板の色もこんな白いのではなくて、阪急の木目調に似たもので、阪急より少し色が薄いものでした。

視界の広い大きな片開きドア、片開きドアの車両といえば、名鉄パノラマカー、京王5000系、京急旧1000系、あたりが思い出されますが、今も現役は地方私鉄へ転籍したのを除いて、同じ南海の6000系と京阪8000系くらいかな。

文字通り網棚のままの網棚と分散式クーラーの通風口。南海の冷房化は早く、昭和45年登場の7100系2次車からこの分散式のクーラーが搭載されています。まだ一般家庭にエアコンが普及する前のことです。

鳥取ノ荘から箱作にかけて海沿いを走ります。

ウィーンという甲高い音を響かせながら長時間フルノッチ、最高速度110km。イマドキのVVVFインバータ制御の電車にはない、頑張って走ってる感がたまりません。

和歌山市到着、パンタグラフは7100系と同じ下枠交差式になってますが、7000系は元々大きな菱型パンタでした。

駅ビルの高島屋が閉店、代わって開店したイズミヤでお弁当を買って、今日の鳥鉄ポイント、孝子まで引き返します。

7000系が戻って来るまで、予め調べてきた孝子の森へ向かうことにします。早速ベニシジミ。

孝子の森への道、駅から数分離れただけなのに、人っ子一人通らないばかりか、聞こえるのはウグイスの声だけです。

ニホンカワトンボ、あるいはアサヒナカワトンボかもしれません。この判別は専門家でもかなり微妙なようです。

野生のアジサイの大輪の花、周りには誰もいなくて自分のために咲いてくれているような錯覚を覚えました。

いくつかの簡易な建物が並んでいます。孝子の森はみさき里山クラブというボランティアのグループにより維持管理されており、これら建物はその活動拠点になっているようですが、訪れた時は誰もいませんでした。

尾根に出ました。みさき里山クラブによる植林活動が行われているようです。

展望台に到着、これもみさき里山クラブの手によるものです。

展望台からの眺望、向こうは六甲の山々です。

3mもない展望台ですが、上って見ると麓に南海電車が見えました!

そろそろ7000系が戻ってくる時間なので山を下ります。

ホタルガとササユリ。

色んな小さな仲間たちがやってきそうな古池。

古池のショウジョウトンボ、まだずっとここで観察していたいのをガマンして駅に戻ることにします。

孝子駅に戻ると上りサザンの妖怪ウォッチトレインがやってきました。

お目当ての下りサザン。

孝子駅、大阪府最南端の駅で、南海本線で最も利用者の少ない駅です。大正4年1915年の開業なのでちょうど100年です。下りホームの上屋は浜寺公園、高野下にも通じる古き良き時代の趣がたっぷり。

イソヒヨドリ♀が小さなムカデか何かを咥えています。

7000系サザンが折り返してくるまで、下り線上屋の木のベンチで、イズミヤで買ってきたうな重(中国製うなぎ使用)をいただきます。

特急サザン28号!

難波に戻って来ました。8番線にラピート、7番線に7100系、6番線に泉北高速から移籍の3000系、5番線に7000系サザン、自分にしてみるとかなり不思議な光景です。

この7037編成以外、通常塗装の7000系が走っているのを見ることはなく、羽倉崎の車庫に何編成か止まっているのを見かけました。特急サザンだけでなく、急行や普通で走っているところも見たいのですが、リバイバルカラーは4両編成だけ、しかも電気系統の仕組みから7000系は4連単独では運用を制限されているらしく、10000系とセットでリバイバルカラーにして花道を飾る、という演出は、出来る限りの工夫を重ねた結果と思われます。