フェイスブック若き天才の野望

Image of フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

2003年ハーバード大学の学生寮で、マーク・ザッカーバーグがルームメイトたちと事業を立ち上げるところから始まって、フェイスブックの成長拡大の過程、フェイスブックの変わらないポリシー、ウォールやニュースフィードなどの現在に至るサービスの成り立ち、フェースブックがこれからどこに向かおうとしているのかまで、およそフェイスブックについて知りたいことが、ほぼ全部カバーされている一冊です。

フェイスブックからの協力の下、マーク自身や関係者全てへの著者自身の綿密な取材に基づいて書かれており、それでいてこの手の本にありがちな、ヨイショとかは全然感じられず、マークへの共感が底流にあるものの、客観的に冷静な筆致で、信頼感あるプロフェッショナルなジャーナリズムを感じつつ読ませてもらいました。

事業設立から、軌道に乗り始め、ベンチャーキャピタルのアプローチが始まる頃までの、マークやその仲間たちのアメリカ的な傲慢さや、若者特有の奔放すぎるところとかは、好きにはなれないのですが、もっと大きくなって、マイクロソフトやアップル、グーグルなどと対等に渡り合うようになってくるとマークやフェイスブックも、極めて自らの社会的責任を意識した存在になっています。

若者たちが主人公ですが、ワシントン・ポストのドン・グレアムがマークの最も信頼するアドバイザーとして登場するあたりは、オヤジとしてはうれしいところです。若くして天才の名をほしいままにできるマークですが、自分のポリシーに固執しつつも、独善的でなく周囲の先達やユーザー、社会に対しても謙虚に意見を受け入れる態度は安心感を感じます。


さて、フェイスブックとは何か、ひとことでいうと世界最大のソーシャル・ネットワーク・サービスですが、本書のあとがきで「読者がこの本を読むときにはフェイスブックのアクティブユーザーは5億人を超えているだろう」とあるものの、今日現在、すでに約6億7千万人です。(checkfacebook.com

世界の人口は現在約69億人ですから、約10%がユーザー、米国を含め、全人口の半数以上がユーザーという国も少なくありません。中国、インドに次ぐ第三の社会という表現もされるようです。

日本は極めて例外的に普及が遅れている国のひとつで、現時点でのユーザー数は約300万人、人口比で3%程度、原因は明らかにミクシィのがんばりです。ネット=匿名の世界と理解され、フェイスブックの実名主義は日本では受け入れられないといった見方もあるようですが、世界中でこれだけ普及したシステムが日本で今後とも普及しないということは、中国のように政策的に情報の鎖国でもされない限りちょっとありえないです。

中東の革命で大活躍したように、フェイスブックは既にインフラであり、電話やメール、あるいは電気やガスみたいなもので、ネット=匿名の世界といった論には関係なく、ミクシィとも別の利用方法で共存できるものだと思います。便利だから使うのです。

国内のユーザー数もこの1ヶ月で急増しています(socialbakers)。震災での安否確認にかなり利用されたものと推測されます。


この新しい便利なインフラをどう活用すべきなのか、その特徴は何なのか、本書から学ぶことが多々ありました。

一番根底にあるのが徹底した実名主義です。他のSNSのようにハンドル名は認められません。芸名すら基本的には認められていないようです。実名による、実在の人間と人間によるネットワークというコンセプトが大前提にあります。

ゆえに、そこで交わされる情報の信頼性が裏付けされ、事実無根の情報や、無責任な誹謗中傷、反社会的な発言、さらにSPAMも排除されます。よってユーザー同士安心して利用でき、普段づかいのツールになって、気楽に使えるようになります。自分のブログでもブログ自体にコメントをいただくより、ブログをフィードした自分のウォールへのコメントの方が圧倒的に多いです。

この実名主義によるコミュニケーションの連鎖によりフェイスブックがインフラとして定着した訳です。本書では「バイラル=viral」という言葉がよくでてきます。鳥インフルエンザの時によく使われた「パンデミック」同様に、伝染病の大流行のように拡大していくといった意味ですが、まさに未だ恐ろしい勢いで拡大を続けています。

実名主義は、マーク自身の最もこだわるポリシーである透明性へと展開されます。透明性とは、フェイスブックの基本データで自分の職業や学歴、音楽や趣味、はたまた人生観や哲学まで公開されるように、ユーザーが自分自身をさらけ出すことによって、より密接なコミュニケーションを図るということです。

これはこれまでのインフラにはなかった要素です。これまで初期のコミュニケーションでは宗教と政治は避けるというのが常識でしたが、それすら無視しようとしています。それが2008年のアメリカ大統領選挙ではFacebookをうまく活用してバラク・オバマ氏が大統領になったという事例をも生み出しています。


ビジネスにおいても、自分の嫌な上司が自分の行動を監視しているといったことにもつながりかねないものの、社内コミュニケーションにフェイスブックを活用し、経営者がリストラ社員の理解を得、退職後もコミュニケーションが継続されているという事例も紹介されています。釣りバカ日誌のスーさんとハマちゃんのような関係が、もっと容易に構築できるということになります。

消費者との関係においても、ブランドに対するファンづくり、固定ユーザー獲得に、フェイスブックは極めて有効です。例えば伊藤ハムのフェイスブックページはひとつの理想を実現しているように思います。わかりやすくて楽しい記事とそれに対する消費者のまじめなコメント、さらに企業側の真摯な回答、と理想的な好循環が展開されています。これを見ると自分の好きなシャウエッセンからアルトバイエルンに変えたくなります。

伊藤ハムのページではハム係長さんの個性や豊富な知識、消費者対応能力が光っています。おそらくこれまでの経験がこれを支えているのだと思いますが、それに対する消費者の反応も、企業側と消費者側の透明性による信頼感がベースになっているからこそ実現していると感じます。

本書でマークはこう語っています。

もっとオープンになって誰もがすぐに自分の意見を言えるようになれば、経済はもっと贈与経済のように機能し始めるだろう。贈与経済は、企業や団体に対してもっと善良にもっと信頼されるようになれ、という責任を押しつける。

本当に政府の仕組みが変わっていく。より透明な世界は、より良く統治された世界やより公正の世界を作る。

政治、経済、社会、家庭、あらゆる側面で、フェイスブックの透明性は新しい価値観を生み出しつつあるようです。

無論、透明性とプライバシーという問題は極めてシリアスです。本書でも丸々一章をさいて、その大きな失敗経験も含め、フェイスブックのプライバシーへの取り組みが紹介されています。まだまだ未解決の要素は少なくありませんが、透明性により得られるもの>過剰なプレイバシー保護で失うもの、という図式は理解されると思います。


もうひとつだけ触れておきたいことがあります。本書では、フェイスブックの最大のライバルとしてグーグルのことが触れられています。

今やフェイスブックはグーグルに次ぐ世界第二のウェブサイトになりました。自分もフェイスブックのメッセージ機能でGmailの利用が減っています。つい先ごろGmailがフェイスブックの友達検索のための対象から外れたのも理解できます。

フェイスブックはパスワードで保護されているのでグーグルの検索対象にはなりません。つまり外部に公開されたフェイスブックページ以外ではSEOはその意味をなさないということです。これはグーグルにとってはとてつもない脅威なはずです。ウェブ屋としての自分にとっても大きな意味と影響を持ちます。

グーグルはウェブに公開されたデータ、事象により人々を結びつけるのですが、フェイスブックは人と人との結びつきでデータを共有するものです。

自分はグーグルのDon't be evilに対してフェイスブックはDon't be lame(ダサくなるな)という両方が好きです。グーグルとフェイスブックは、ある時は手を結び、ある時は徹底的に潰しあうような関係が続くと思いますが、それこそが、さらに新しい社会構造を生み出すエネルギーになると思います。