「鉄学」概論

Image of 「鉄学」概論―車窓から眺める日本近現代史 (新潮文庫)

西田幾多郎の「哲学概論」(勿論読んだことはありませんが)にちなんでの「鉄学概論」ということで、日本の近現代史に果たして来た鉄道の役割を語っている一冊です。

鉄道紀行文学の巨人として、内田百閒、阿川弘之、宮脇俊三について語るところから始まって、明治、大正、昭和の天皇と鉄道との関わり、阪急の小林一三、東急の五島慶太、さらには西武の堤康次郎の経営の違いが沿線文化を産み出してきたこと、都電が大活躍していた頃の記号と実体が一致した街が、地下鉄の時代になって記号と実体が乖離してしまった(例えば半蔵門は皇居の門ではなく単なる駅の名前になってしまった)こと、そして67年の新宿駅騒乱、73年の上尾事件と語っていきます。

今も巨大で荘厳なターミナルでJRに乗り換えるには不便な阪急梅田駅と、3番線までしかなくて、遠からず地下の通過駅になってしまう東横線渋谷駅の違いは小林と五島の経営思想の違いからくるという指摘はよく理解できるものです。

つまり、あくまで民間事業として鉄道経営や宅地開発を行い結果としてタカラヅカや阪急百貨店を生み出した阪急に対して、公共事業受託の延長線上での鉄道経営、宅地開発の東急との違いです。

勿論住んだことはありませんが、同じ高級住宅地でも、芦屋と田園調布では、どう考えても芦屋の方が住み心地いいでしょうね。周囲の緑の多さも違うし、梅田から座って帰れる芦屋川や岡本に対して、東横線はまだしも田園都市線なんかできれば乗りたくないところです。

高度経済成長時代の郊外の団地の開発が結果的に上尾事件を起こしてしまったことが細かく著述されています。当時の国鉄の組合は本当に腹が立ちます。それとそんな高度経済成長時代の最後の世代として、それが当たり前と理解し、郊外に住み遠距離通勤していた自分のバカさ加減が悔やまれてなりません。

この上尾事件の著述でこの本は終わってしまっているのが残念です。バブル崩壊以降、鉄道と社会の関わりも大きく変わったことを、著者の鋭い視点からぜひ分析し、続編を出してもらいたいものです。

ところで、新宿騒乱の項で、1974年、小学生の著者が塾通い?の途中、新宿駅に長時間停車していた客車鈍行の一番古そうな車両を選んで、お弁当を毎週楽しむシーンが描かれています。

ほぼ同じ頃、正確にはたぶん1973年、自分は高校1年で、南海沿線から大阪環状線桃谷駅までの通学、帰り道はよく天王寺で環状線を降りて、新今宮までひと駅だけ関西線に乗り換えていたことを思い出します。

関西線電化前後の頃で、キハ35系やキハ58系のディーゼルカーに乗るのがささやかな楽しみだったのです。タイムマシンがあればぜひ戻ってみたい時代ではあります。