第557回田辺寄席

初めて田辺寄席に出かけてきました。毎月月半ばに3回の公演、場所を変えて昭和町の寺西家という大正時代の民家でも毎月1回の公演が催されているようです。

谷町線田辺駅、阪和線南田辺駅から徒歩10分弱の住宅街の中、阿倍野青年センターという会場、表に提灯が煌々と輝いていました。

地域に笑いを広げて37年というキャッチフレーズ、150席くらいのパイプ椅子が並んでいて、半分強の入りでしたが、昼席は満席だったようです。

着いた時には、開口0番文太の前ばなし、が始まっていて、勘当というテーマが破門の話に転化して既に盛り上がっていました。

今日は笑福亭呂好、笑福亭生喬(二席)、桂文太、桂枝三郎という顔ぶれです。

呂好さんの「犬の目」が終わったところで、お客さんが倒れるというハプニング、生喬さんのマクラの途中で救急車が到着、高座は中断されました。大事ないといいのですが。

再度の出囃子で生喬さんは「須磨の浦風」、真夏にお殿様をもてなすため、須磨から涼しい風を長持ちに入れて運んでくるという、お噺です。文太師匠はお馴染みの「桃太郎」、この落語の桃太郎、よく演じられるものの、自分はあまり好きじゃないですね。

ケンちゃんという名前、旧国名の地名を並べるところから、古典でも新作でもなく、昭和の初めの作かと思われます。ケンちゃん、知識をひけらかすばかりで、可愛くないし、昔話の解釈という流れだけで噺に広がりもありません。金坊は生意気だけど可愛いし、飴屋をからかったり、凧あげしたり、場の転換でイメージがどんどんふくらむ初天神の方がずっといいです。

文太師匠がなにも桃太郎やることはなかったと思うのですが、お嬢さんたちの幼稚園の頃の話をネタにしたマクラが良かったのでOKです。

ここで仲入り、嬉しいことに、この建物の中庭で、ぜんざいがふるまわれました。昔クリスマスイブのクリスマスキャロルの後でふるまわれた教会のぜんざいを思い出しました。

「ぜんざい公社」というノボリが掲げられているのはさすがです。ぜんざいだけでなく昆布茶もあって、地域に笑いを広げて37年はやはりハンパじゃありませんでした。

仲入り後は、桂枝三郎「悋気の火の玉」、おてかけさん(おめかけさん)と正妻さんが死んでも争っているお噺です。トリは生喬さん再登場で「吉野狐」というお店屋さんの符牒をネタにした人情話っぽいお噺です。

落語が終わって文太師匠と呂好さんが再登場で抽選会、次回田辺寄席招待から始まって、次回通しで招待、半年招待、年間無料招待とすごい大盤振る舞いでしたが、残念ながら当りませんでした。

6時からほぼ3時間、これで1300円は安すぎますね。

ところで、仲入りの時、事務所の片隅にじっと座っている黒いワンちゃんを見かけました。かばんのようなものを背に掛けてじーっとしていて、ぱっと見たときには、犬の置き物がなんでこんなところにあるんだ、と思ったくらいです。

受付をしていたオジさんに聞いてみたら、盲導犬だそうです。壁にその盲導犬を紹介する記事の新聞が貼ってあって、文太師匠と一緒の写真がありました。

???、ひょっとして、と帰ってから調べてみたら、文太師匠、失明されているんですね。前から高座での視点が何か妙だなと、思っていたのですが、全く気付きませんでした。

目が見えないなんて全く気づかせないで、これだけの笑いと感動をとる芸を楽しませてくれる桂文太の大ファンになってしまいました。