千早赤阪、富田林

梅雨入り前の大切な週末の日差しとの天気予報。前から行ってみたかった千早赤阪村は下赤阪の棚田へ。

阿倍野橋には青のシンフォニー、2回乗ったことがあるものの、座り心地が良すぎて2回とも爆睡、車内の様子はあまり記憶にありません。

ラビットカーの急行が入線してきたので、これで古市まで行こうとしたら青い線より下がってくださいと駅員さんに注意されました。ちょうどこの4番線の1両分くらいだけ、プロレスのロープみたいなのが上下するホームドア(ホーム柵?)が設置されていて、ホームに新たに引かれた青い線より外側に立っているとロープを上げられないようになっているようです。JR高槻駅に似ているものの構造や動作は異なっていてさらにブサイクです。これが普及したら近鉄には乗りたくなくなりそうです。

ラビットカーの阿倍野橋から大和川を渡るまでの前面展望です。窓の端にわずかにオレンジ色が見えるだけですが、ラビットカーの運転手さんが近鉄では珍しくバッグを隅っこにきっちり置いてくれたのが嬉しかったです。

古市で準急に乗り換え富田林到着。ここから先、近鉄長野線は単線になります。

下赤阪の棚田

千早ロープウェイ行バスに乗車、富田林駅南口には金剛バス4つのバス乗り場があって、4台のバスが同時発車。自分の乗ったバスはえらくガラーンとしたシート配置、同時発車のバスは一部ロングシートです。金剛山へのハイカーらしき人はひとりもおらず、金剛山へはやはり河内長野から南海バスになるようです。

金剛バスは電鉄系でも自治体経営でもない富田林に本社を置く独立系のバス会社で、大阪府では他に類を見ないかと。ICカードにも対応しておらず、昔ながらのコインと整理券だけ。低床バリアフリーもアイドリングストップもなく、バス自体も年季が入っていますが、昭和っぽい路線バスが楽しめます。日中でも各路線とも30分ヘッドレベルのフリークエンシーは立派です。

赤阪中学校前で降車。中学校へ上がる道が下赤阪の棚田への道とわからずバス道の県道を歩いてしまいました。

棚田があるものの下から見上げるばかりで、上へ上がる道が見つかりません。ニホンアマガエルが葉っぱの上でじっと腕組み、可愛いです。

富田林市消防署千早赤阪分署のところで漸く上へ上がる道があって回り込むとさっき見上げたあたりの棚田の上にでてきました。これが有名な下赤阪の棚田だとしたらちょっとしょぼいです。まだ水の入っていない棚田も少なくありません。

アザミの蜜を吸ってるキアゲハ。

さらに上へ上がる道を登ってみるとすぐに尾根にでて大きく広がった景色にビックリ、ハルカスまでよく見えます。

尾根にも田んぼ、尾根の東側には棚田と大和葛城山。いい感じですが、やはりイメージしていた下赤阪の棚田の風景とは異なります。

ホッホッ、ホッホッとよく聞こえるのですがこれだけ葉が茂ると姿は見えません。帰ってから調べてツツドリの鳴き声と分かりました。そう遠くないところからトッキョキョカキョクのホトトギスやカッコウの声も聞こえてきます。4種類しかないトケン類のうちジュウイチ以外の3種類のコーラスですが、姿は見えません。

正面からの蝶はたぶんコミスジ。ヒメウラナミジャノメは翅が透けています。

金剛山がもう間近です。稜線の田んぼの中を覗いて見ると2cmくらいのオタマジャクシがいっぱい。

ルリシジミ、止まっているときは開翅してくれなかったものの、飛んでいる姿は綺麗でした。

ウラギンシジミは外と中を同時に見せてくれました。

テングチョウと、トーストしたような背中のバッタはキリギリスの一種のヤブキリ。

トケン類以上にホーホケキョがそこらじゅうから聞こえてきます。探して探して竹やぶの中にシルエットを見つけました。

稜線の道を北の方へ向かって歩くと、赤阪中学校の裏手にわざとらしくこんもりと築かれた土塁と赤阪城址の案内板があって、その東側にイメージしていた通りの下赤阪の棚田が広がっていました。

明日、絣の着物の若い女性達による早乙女田植えイベントがあるらしいですが、おっちゃんの田植えで満足しておくことにします。

さらに北に向かって稜線沿いを歩いていきます。モンシロチョウとヒメウラナミジャノメ。

ほどんど誰も通らない道なのに、農作業小屋に「赤阪城軍事 楠木兵法 其之壱」という歴史案内が掲げられています。「太鼓をころがしてその中に蜂の巣を入れ寄手敵が壊すと蜂が飛び出して遮二無二襲いかかるという奇策」は痛快です。実は自分のご先祖様は楠木一族だと聞いた記憶があります。たぶんウソだと思いますが、それでも700年前にこういう発想ができたご先祖様がいたと思うと誇らしいです。

漸く稜線の道は下り坂になり、森屋バス停に出てきました。行きのバスでほぼ全員が下りてしまったところで千早赤阪村の中心地と思われます。ちょうど5分ほどで次のバスがあります。

電線にツバメのカップル、よくみるとお腹に縦班、初見のコシアカツバメです。よほど1本バスを見送るかと思ったのですが、一応ちゃんと写っていたのでやってきたバスに乗ります。

富田林寺内町

ここも前から行ってみたかった富田林の寺内町です。碁盤目状に古い町並みが広がっています。あじさいの鉢が並んだ耳鼻科の医院、ここから遠くない場所で耳鼻科を開業していた伯父とお友だちかも知れません。

街角に建つ石碑は東高野街道の道標、京都の八幡から生駒の西麓と河内湖の間をまっすぐ南下、河内長野で西高野街道と合流して高野山へ向かう古代からの街道で、瓢箪山駅前商店街になっている国道170号も東高野街道の一部です。

板塀や格子窓が美しいです。こういう場所にありがちなこじゃれたカフェやクラフトショップもところどころにあるものの観光客らしき姿は殆どありません。

自分の育った家にとても良く似たお宅。自転車を押して格子戸から祖父がでてきそうです。

なんとも懐かしい新泉牛乳の牛乳箱発見。子供の頃、牛乳はきらいでした。コーヒー牛乳やフルーツ牛乳は好きですが取ってもらえませんでした。

寺内町から坂道を下りると石川、河川敷から大和葛城山と金剛山。

鮎の姿鮨

阿倍野橋まで戻ってきました。

デパ地下で懐かしい鮎鮨の銘店を見つけました。店頭になかったので、鮎の姿鮨はいつからですか、と訊いたら、ちょっと待ってもらえればできますよ、とのこと。結構なお値段ですがひとつ購入。いそいそとウチへ帰って、木箱の蓋を開けてみたら、鮎があまりに小さくてペラペラでショック。鮎の味とかは殆どかわからず酢飯の味しかしません。

本店は日本最古の鮨屋とも言われる料亭で、祖父が贔屓にしていて大峰登山の帰りに何度もごちそうしてもらったお店です。子供心にも風情ある日本庭園が記憶に残っているのですが、この姿鮨にはガッカリ。調べてみたら6月1日に吉野川の鮎が解禁になったばかりです。解禁されたばかりの初物なので鮎は小さい、と納得しておきたいと思います。