或る出張の日

久々の岡山出張、ミーティング後、先様オフィス近くにある岡山臨港鉄道廃線跡に行ってみました。岡山臨港鉄道はJR宇野線大元駅から岡山港を結んでいた鉄道で昭和59年まで走っていました。

交差点の名前がわからないのですが、岡山スズキ自動車本社前の交差点で高架は国道30号です。この付近に岡南泉田駅があったそうです。ここからほぼ真北に向かって廃線跡と分かる遊歩道がまっすぐ延びています。

廃線跡は臨港グリーンアベニューと名付けられ、大元駅まで延々2km続いています。廃線跡が2kmも整備され残されている事例は貴重かと。

案内版にある昔のおもかげの写真を普通のモノクロに加工してみました。レールは残っているものの草ぼうぼうでとても列車が走る状態ではなく、廃線後道路や緑道として整備されるまで放置されていた頃の写真と思われます。周りに建物も殆どなく、昭和60年代の泉田周辺とは考えられず、右側にレールを剥がした側線跡があることから、岡山港辺りの写真ではないかと推測します。

延々と公園として整備して立派な案内板も立てたのに泉田周辺の列車が走っている写真をなぜ見つけられなかったのか、お役所の地元の人たちに愛される公園にするための工夫と努力が足りないと思います。

すぐ脇に泉田北バス停があって緑道に沿って大元駅の方へ向かうようです。1時間に1本しかないバスがすぐ来る時間なので、歩くのは止めてバスで帰ることにしました。この泉田北は1時間に1本ですが、国道30号を結構頻繁にバスが走っています。国道30号沿いのどこにバス停があるのか分からず、やっぱりここで待つことにしたらほぼ定刻通りバスはやってきました。

乗車したバスは自分以外に乗客は無し、帰ってから調べてみると300mほどのところに泉田口バス停があってこっちよりずっと本数が多いです。時刻表アプリもバス対応はまだ部分的でまだまだ参入余地はありそうです。乗車したバスはしばらく緑道沿いを進んだもののほどなく右折してしまいました。大元と泉田の中間、新保駅跡にはホームが綺麗に整備され残されていると分かりました。

いっぱいやって帰ろうと思ったのですが、4時半で岡山駅周辺で行ったことのあるお店はまだ営業していませんでした。大阪へ帰ることにします。

新幹線の高架下に不思議な歩道橋がありました。線路の向こうへ渡るべく架けられたようですが、線路の上に跨線橋はなくて、線路に沿って下りるだけです。この真下に線路の向こう側へ潜る地下道があり、線路に沿ってこの歩道橋を渡ることなく歩いて行くこともできます。歩道橋は閉鎖されることもなくゴミやホコリが溜まっているだけです。なぜ撤去されないのか不思議です。

駅前広場にカバヤ、オハヨーと掲げられた見覚えのあるビル。30年近く前ですが、何度かここに商談で伺った記憶があります。今まで再三岡山に出張してきているのに、気づきませんでした。調べてみるとターミナルスクエアというビルで日本カバヤ・オハヨーホールディングスが入っていて、カバヤ、オハヨー乳業それぞれに岡山市郊外に本社があります。自分が伺った頃は、それぞれのショールームのような存在だったような記憶があります。

日配商品や菓子の商品企画や仕入担当だった頃、カバヤさん、オハヨー乳業さん、いずれもずいぶん親身になって相談にのってもらったことが思い出されます。当時の担当部長さんたちとの海外出張も懐かしいです。

駅前でMOMO、自分は好まない水戸岡デザインですが、JR九州の787系同様初期の水戸岡デザインは悪くないと思います。

いつものように新幹線ホームへ直接入らないで在来線ホームをチェックすると、やくもが引き上げていくところ、最後尾のグリーン車に、山陰デスティネーションキャンペーンとダサいフォントで大書されていました。ちょっとセンスを疑いたくなります。

折り返し用の引き込み線で種別幕が切り替わりました。側面が見えないのでOKです。貴重な国鉄特急車両だけに、ダサフォント大書とかはなおさら止めて欲しいところです。

快速サンライナー福山行ドドメ黄色117系が2番線に下関側から入線。車内は一部ロングシート改造されていない新快速当時のままです。

新幹線ホームの壁にイソヒヨドリ。JR九州のN700系さくら、今日は往きも帰りも山陽新幹線はえらく混んでました。

梅田、難波、京橋、色々迷って天王寺でいっぱい引っ掛けて帰ることにしました。9番線に205系、もうこのシーンを見るのはこれが最後になると思います。

ちょっとエエ塩梅になって天王寺駅前電停を覗くとモ502号。