琴電レトロ電車 4両編成編

琴電レトロ電車 2両編成編の続きです。

滝宮たきのみや駅から隣の羽床はゆか駅へ移動、午後のレトロ電車4両編成を撮り鉄します。ポイントをどこにするか、さんざん調べ、悩みました。せっかくの4両編成なので、大きく広がった場所が条件になりますが、一番有名な撮影ポイントの土器川橋梁は、駅から1.5kmくらい歩くので、駅周辺に田園地帯が広がる羽床にしました。

元京急1000形の1080形で羽床駅に到着、線路を跨ぐ道路のこちら側の歩道が撮影ポイントです。遠景は琴平山/象頭山のテーブルマウンテンが広がっています。駅ではセグロセキレイがお出迎え。

駅の目の前に秀麗な三角錐、もうひとつの讃岐七富士の堤山、羽床富士201.55mです。

撮影ポイントに到着、他に誰もいません。駅の向こう2つ目の踏切の辺りに10人くらいの撮り鉄さんがいます。でもこっちもいい感じで撮れそうです。

ところが道路の反対側から畑を焼く煙がもうもうと舞い上がってきます。このままだと上町のおっさんの燻製ができてしまうので、一旦退散。

羽床富士をバックに狙ってみたけど逆光。

煙が収まったようなので、線路を跨ぐ道路に戻ってみました。撮り鉄さんがもう2人。

レトロ電車4連がやってきました。羽床駅に止まるので慌てることはありません。

20形23号を先頭に次位は5000形500号、その後ろが午前の2連、1000形120号と3000形300号です。おや、真正面に見えるのは御廐富士こと六ツ目山かと。

しんがりを務める300号。

再度琴電琴平へ向かいます。1080形の車内の扇風機、この色に見覚えがあります。KHK(Kei Hin Kyuko)のロゴもそのまま。

琴電琴平駅に停車中の500号と23号。川の方から撮れば4両全体がよく分かるのに、セブンイレブンで買ったメンチカツを食べている内に撮り忘れました。

最後尾になった23号に乗車、車内は他の3両と違ってニス塗り、運転室周りもブラウン系です。

この23号は元近鉄南大阪線モ5621形、さらに辿ると大正14年製の大阪鉄道デロ20型で、元々は2等車(グリーン車)だったということになります。昭和36年に琴電に移籍後、昭和51年に車体更新されていて、外観は近鉄時代とは全く違うものになってしまったようです。デロ20型の写真がありました。優美な天井の作りやニス塗りの内装は近鉄時代のものが残されているようです。

訂正:デロのロは2等車の意味じゃなくて、製造時期かなんかを示すらしく、大鉄に等級制はなかった由です。近鉄の歴史に詳しい方に教えてもらいました。(2017/5/10)

どこかで見たことのあるのと同じ硬いバネ式の戸締めスイッチ、他の3両とは違って、運転室窓下に取り付けられています。

木製の窓枠に車内放送用のマイク、4両編成で車掌さんは何人になるのかと気になっていたのですが、2両編成の時と同じく2人でした。

ピンボケなのが申し訳ないのですが、23号の車内に琴電の古地図と23号の図面が掲示されていました。

ブラタモリで紹介されていたように、琴平へは、琴電(旧琴平電気鉄道)と国鉄土讃本線の他に、坂出から琴平急行電鉄(琴急)、多度津から琴平参宮鉄道(琴参)の実に4本もの鉄道が通じていて、琴平ではそれぞれ、別の駅を構えていたことが確認できます。さらに琴参には、善通寺から丸亀、さらに坂出への支線が描かれています。琴急は昭和19年まで、琴参は昭和38年まで運行されていたそうです。

一方、仏生山からは昭和16年に廃止された塩江線という支線が太い赤い線で描かれていて、この地図は昭和15年頃の琴平電気鉄道の路線図と思われます。讃岐電鉄、琴平電鉄、高松電気軌道の3社が合併して高松琴平電気鉄道発足が昭和18年で、長尾線は高松電気軌道という別会社路線として描かれているものの、地図の時点では讃岐鉄道のはずの志度線がなぜか自社線扱いの太い赤線です。

岡田駅付近から飯野山422m、讃岐七富士の一つであり、単に讃岐富士という場合はこの山を指します。その向うに小さめの三角錐は青の山224m、飯野山の弟分だそうです。

調べていて飯野山や讃岐七富士のような地形をビュートと呼ぶことがわかりました。そして屋島や琴平山/象頭山のような地形がメサです。メサの侵食が進み孤立丘になったのがビュートで、富士山のように火山だった訳じゃないそうです(参考)。讃岐七富士だけじゃなくて、瀬戸大橋から見える大槌島とか瀬戸内海にも三角錐の島があります。陸でも海でも同じような風化や侵食が繰り返されてきたんじゃないでしょうか。

23号のマスコン、摩耗して株式会社の文字しか読めないのですが、ウェスティングハウス製じゃなくて、国産です。

栗熊駅を出て、さっきまでいた羽床駅近くの撮影ポイント(2:12)、フルノッチで上り勾配(3:24)、午前中にいた綾川鉄橋東側の踏切の撮影ポイント(5:17)を経て滝宮駅までの後方展望動画です。手ブレもありますが、電車がよく揺れる感じも伝わるかと。

滝宮で6分停車。23号と500号の連結面です。丸みを帯びたボデイの23号とカクカクのボディにリベットいっぱいの500号、戦争の時代を挟んで、板金加工技術が大きく進化していることが分かります。

23号の車体は近鉄というより京阪っぽい雰囲気です。

500号はテールライトが窓上に取り付けられ、120号や300号と印象がかなり違ってます。

なぜか500号だけが高松側にパンタが付いてます。

ここから最後の行程は5000形500号で行くことにします。車内写真の丸い頭は「ことちゃん」琴電のICカードキャラクターのきぐるみです。

500号の制御機器や車内の作りはほぼ120号や300号と同じですが、元々1000形/3000形の増備車の片運転台付随車として昭和3年に製造され、昭和28年に両運転台電動車化改造されています。この琴平側のエンドが追加された運転台ではないかと。

高松築港に到着。

折り返しは回送じゃなくて、仏生山行臨時列車です。

レトロ電車を見送ります。

同じく4両が現役の阪堺モ161形が昭和3年製に対して琴電レトロ電車4両は大正14年から昭和3年製で、モ161形は秋から春は毎日運行に対して琴電レトロ電車は月1回の運行もモ161形より遥かに高速走行です。明治44年製の長崎電気軌道の160号が現役なので、日本最古の電車ではありませんが、国宝級といっていいのは間違いないと思います。

国宝であっても先年亡くなられた人間国宝、米朝師匠のように、身近に触れ、たっぷり楽しませてくれる国宝です。民事再生法適用前の暗い時代を経て、讃岐の阪急と呼ばれた時代を彷彿とさせる、琴電の技術力や鉄道としてのレベルの高さも感じました。


帰りは高速バスなので、早めの夕食を取っておかねばなりません。JR高松駅の駅ビル2階で見つけた立ち食い寿司に入ってみたら、コスパが良すぎてビックリ、高松へ来るたびに立ち寄るお店になりそうです。

フグの骨酒でええ塩梅になってジャンボフェリーとセット券で割安なフットバス難波行で帰るだけ、のはずが、神戸淡路鳴門自動車道がなんと40kmの大渋滞。ある程度は覚悟していたものの、ゴールデンウィークを舐めていたことに気づきました。

車を手放して久しいのですが、20何年か前、真鶴から小田原までの真鶴道路5kmを抜けるのに5時間かかった時以来の大渋滞経験、萩原健一と黒木瞳の渋滞という映画を思い出しました。

色々情報を集めた運転手さんの判断で、高速道路を下りて淡路島の西側、海沿いの県道31号線を行きます。海は真っ暗ですが昼間だったらさぞかし風光明媚なはずです。通行量は少く順調に進んだものの淡路島北端で明石海峡大橋に入るために1時間近くかかりました。結果的には高速道路をそのまま行ってもさほど変わらなかったかもしれないけど、下道行ったりとかジタバタしてくれるのは嬉しいです。

バスにコンセントがついているのでさほど退屈もせず、OCATに着いたのは約2時間遅れで0時ちょうど、OCATからウチまで歩くことを覚悟してましたが、最終の東花園行に間に合いました。