大阪城-真田丸-茶臼山

ちょっとあったかいので登城。

神社裏のジョウビタキ♀。

神社裏のアオジペア。

ユリカモメと天守閣を眺めていて、真田丸、茶臼山、と大阪冬の陣、夏の陣の跡を辿ってみることを思いつきました。

大阪城公園の南側、馬場町と森ノ宮の中間にある交差点から法円坂を下って行くとすぐに越中井、細川忠興の屋敷があったところに井戸だけが残っています。細川ガラシャ最期の場所です。

そのすぐ南側に大阪カテドラル大聖堂、玉造教会。

細川ガラシャと高山右近。

その南側に大阪女学院、ミッションスクールですがこちらはプロテスタント。

とても気持ちいい道で、上町筋に並行しているものの、坂の起伏が多いので自転車の自分は普段ほとんど通りません。急坂を下りて長堀通を渡ると空堀町、大阪城南総構堀跡です。空堀商店街はずっと西の方ですが、玉造交差点からここ空堀町、空堀商店街を抜けて、東横堀川へ続く道の形に空堀の痕跡が読み取れます。

上町台地は南北に長く、東西へ下り坂。稜線に沿った上町筋や谷町筋は南北にフラットですが、上町中学辺りの裏道に入ると空堀に沿って南北にボコッと凹んでいます。空堀商店街を南北に外れた辺りにはそれらしい石垣も残っています。

空堀町から南へ上る心眼寺坂。右手は真田丸があったことがほぼ確定的な明星高校のグランドで、坂の途中に最近建てられたばかりの顕彰碑があります。

明星高校の正門です。やはりミッションスクールですがこちらはカトリック。実は自分はこの高校に1年だけ在籍していました。校則が厳しいのが嫌でたまらなくて1年でドロップアウトしてしまった、つらい思い出の場所です。毎朝この校門で先生が怖い顔をして服装チェックをしていました。

向こうはブラタモリでタモリさんが屋上へ上っていたタワマン。この南側に府立高津高校があります。当時から制服もない自由な校風の学校で、羨ましくてならなかった記憶が生々しいです。

でも、辞めると決めた時、薄暗い教室で担任の若いM先生が、黒板消しを持ちながら、黒板消しも横から見た時と、上から見た時にはこんなに形が違うんだ、もっと色んな側面から物事をみるべきではないか、と諭されたのは、今も自分の発想の原点になっている気がします。

男子校ですが、上述の大阪女学院や、プール学院、大阪樟蔭、帝塚山等、女子高のカノジョがいる奴が多かったです。

当時、自分の通学経路は岸和田-新今宮-玉造、学校の帰り、特に土曜日、環状線を天王寺で乗り換え、関西線のキハ35やキハ58にひと駅だけ乗るという楽しみもありました。

自分ちを通り越して茶臼山、知らないうちに真田幸村の功績を紹介する高札が何本も建てられていました。さすがに今日はたくさんの歴史マニアが来ています。

ハルカスに面した一本のもみじ。

今年見た紅葉で一番きれい。

茶臼山と通天閣、通天閣ともみじです。久々に慶沢園に行ってみます。天王寺公園は無料開放されたものの慶沢園だけが150円の有料で残されて以降初めて。

いました!カワセミ、かなりの美形の♂です。

何度も池に飛び込んでは同じ場所に戻ってきます。

無理くりでハルカスを背景に、左下の丸印がカワセミです。東屋の手前にはダイサギ、池にいた鳥はこの2羽だけ。

こんなに色が鮮やかなカワセミは久しぶりです。

最後にもう一か所、安居の天神さんに回ってみました。真田幸村が果てたところで、幸村の像と碑文があります。人が写らないように撮っているのですが、幸村像で記念写真を撮る人や御朱印をもらう人で、この日ならではの賑わいです。

ここは上方落語の天神山の舞台でもあります。とてもファンタジックな物語、枝雀さんの一席です。空に豪快な飛行機雲、中国東方航空MU524、成田発上海行A330です。