たまねぎ小屋と予備校

阪和線103系の大半は鳳まで、一部熊取、日根野行もありますが、早朝深夜だけ休日でも和歌山まで走っています。田園風景が広がっているはずの和泉鳥取が今日のターゲット。

103系運用情報と列車番号が掲載されているえきから時刻表の路線時刻表を見比べて、和泉鳥取で8時台に4本の103系あるいは205系があることをチェック、おまけに283系のくろしお1号通過もこの時間帯です。

天王寺から乗って来たのは1日1本しかない新大阪発の快速湯浅行、丸目の223系初期車です。このまま紀勢線まで行ってみたいという衝動を抑えて、熊取で最新の225系5100番台の普通に乗り換え、和泉鳥取に到着。山の裾野にあって駅を出ると電車はカーブしながら小さな渓谷を渡り山の中へ入っていきます。

高台にあるので関空に着陸する飛行機がよく見えます。ニューカレドニアの航空会社エアカラン機、後ろにうっすらと明石海峡大橋も写ってます。

駅から15分ほどで広い空間にでてきました。たまねぎ小屋があります。自分にとってはかけがえのない思い出がいっぱいつまったたまねぎ小屋、農作業小屋の一種ですが、こんな骨組みだけの農作業小屋は泉州独特のものでは。ただの農作業小屋になってしまったたまねぎ小屋も少なくないですが、この骨組みにたまねぎをひっかけて干すのが本来の目的です。

かつて日本一のたまねぎ産地だった泉州のたまねぎ生産量は全国シェアの0.5%位まで激減していますが、今も生産されています。写真のたまねぎ小屋の左側は植え付けられたばかりのたまねぎだと思います。小屋の上に丸太が載っています。収穫期にはこの丸太を小屋の骨組みに渡して、たまねぎをいっぱい干すためです。

Google Mapでチェックしていた金熊寺川の土手に到着。A24運用3550H、HK605編成がやってきました(参考:近ヒネ編成表)。

小さな丘に挟まれた広い谷になっていて、川の土手よりちょっと上がった方が風景が広がるので、さっきのたまねぎ小屋の場所まで戻ります。

急に晴れてきて青空が広がりました。A30運用3517H、和歌山側が低床運転台、天王寺側が高床運転台、1両も40N改造が混じっていないHK608編成です。

283系くろしお1号、1年前はこれに乗って381系を追いかけていました。3517Hの写真とずいぶん稲穂の色味が違ってますが、撮影モードを変更したためか、日差しが変わったのか不明。

A23運用3519H、和歌山側3両が40N改造のHK602編成。

間近の梢にモズの♀、やんちゃな感じの♂と比べて優し気です。

A46運用3556H、103系4両編成のHJ405編成、9時台にもう2本、A30とA23運用が和歌山から折り返してきますが、その後は紀州路快速ばかりになってしまいます。4本の103系/205系運用全部が103系だったのはラッキーですが、写真はイマイチで、また出直してきます。

金熊寺川(きんゆうじがわ)を遡ってみます。男里川と合流し、いつもの男里川河口干潟まで続いています。5km弱の道のりを1時間半くらいかけてゆっくりと。

金熊寺川の一部がビオトープになっているのですが、河川敷や川は(それが本来の姿なのかも知れませんが)殆ど整備されておらず、ちょっとがっかり。それでも周囲に田んぼや畑が広がっていて里山歩きは楽しめます。たまねぎ畑とたまねぎ小屋もあります。

川にはいまだにツバメが何羽も舞っていてちょっとびっくり。じっくり探せば色んな小さな仲間たちが見つかりそうですが、とりあえず、ランタナに留まったイチモンジセセリだけ。

久しぶりのウラナミシジミ。ノビタがいないかずっと探していたのですが、モズ♀だけ。

男里川左岸河口に到着。キアシシギ、1ヵ月半ぶりに会えて嬉しい。

イソシギもいます。

潮位は90cmくらいで満ち潮、右岸河口先端は海の中、風が強めで波も高めです。既に自分の限界の7kmは歩いているので足のカラータイマーが鳴り出しおり、ハクセンシオマネキがどうしているかチェックしたかったものの右岸河口は今日はパス。

樽井から羽衣へ移動、阪和線の羽衣支線に乗ります。高3の時、このルートで百舌鳥にあったYMCA予備校堺校の現役クラスに通っていました。それ以来の羽衣支線乗車です。

調べてみたら、YMCA予備校はとっくの昔に閉校しており、その後の、代ゼミや駿台、河合塾の台頭に淘汰されてしまったようです。週1回くらい回数券で通っていた記憶があります。どんな先生がいたのか思い出せません。ここで友達ができたという記憶もでてきません。ググってみると堺YACAは存続していて予備校はやっていないものの、いろんな教育活動を続けているようですが、ググってでてきた場所と記憶の場所が微妙に違います。百舌鳥と三国ヶ丘間の線路際だったはずです。当時の阪和線は既に103系が導入されていたものの多くが旧型国電、オレンジ色の車体、ニス引きした床、ドアの間にステンレスのポールが立っていました。

HL102編成クハ103-162の車内、なんかがらーんとしているなぁ、と、中吊りも荷物棚上にも全く広告がないことに気が付きました。グローブ型ベンチレーターの内側には扇風機、JNRのロゴに代わってJR西日本マークがついてます。

昭和4年、阪和電鉄開業と同時に羽衣支線も開通しています。当時大阪随一のリゾートだった浜寺へ南海に対抗して送客が目的だったようです。結果的に南海線沿線と阪和線沿線を繋ぐ役割を担うことになり、その役割は今も必要とされているようで、この羽衣支線の103系も遠からず新車に置き換えらえるとの噂です。

クハ103-162の運転台、昔の公衆電話の10円玉専用青電話のような受話器、LEDじゃなくて豆球が入っていると思われるパイロットランプ、スイッチ類のダイヤル式やトグル式のつまみ、これぞアナログ、殆ど昭和の町工場です。

3分で鳳到着、先頭のクモハ103-2503を撮っておきます。3番線から発車するHK608編成に間に合ったものの見送ります。

鳳電車区を望遠、鳳電車区は乗務員区だけで、車両は全て吹田総合車両所日根野支所所属で近ヒネですが、以前は天オトでした。

橋上駅舎から見た羽衣支線の電車、この眺めは記憶にあります。

A23運用HK602編成が3番線に入線、今朝田んぼで撮った編成です。続いて283系くろしお13号がゆっくり通過。

青い電車のツーショットを2つ。

HK602編成の30N改造の車内、とても綺麗です。やはり103系には中吊りがないと様にならない。

あえて2両目のモハ103-785の一番後ろに陣取って抵抗制御音をたっぷり楽しむことにします。床のモーター点検蓋は無くなっています。

上野芝、杉本町、鶴が丘で合計4本に抜かれ37分の乗り鉄を満喫して天王寺到着、最後尾の高床式クハ103-800の運転台をチェック。低床運転台と比べて計器類のパネルの角度が全然違っていて、受話器も親子電話やコードレスホンの時代の形状です。

陽炎にゆられるHK602編成を見送ります。